令和の野球探訪BACK NUMBER
ドラフト候補を育てた広島の無名校。
「育てることと夏に勝つことは違う」
posted2019/07/31 08:00
text by
高木遊Yu Takagi
photograph by
Yu Takagi
悪夢でも見ているかのような展開だった。
高校野球広島大会3回戦。
武田高校は沼田高校に4点リードした8回のピンチで最速152キロのエース右腕・谷岡楓太を投入する。しかし、この回に押し出し四球で1点を返されると、9回には逆転を許す押し出し死球など1回1/3を投げて1安打8四死球4失点と大崩れし、6-7の逆転負けを喫した。
谷岡は悔し涙を止めることができなかった。岡嵜雄介監督も「想定外でした」と肩を落とした。
入学時を考えれば、プロ注目のドラフト候補になることですら、本人にとっても想定外だった。中学時代、軟式のクラブチーム・安シニアで2番手の投手。入学するきっかけとなったのは同シニアの高橋一成監督と岡嵜監督が広島商の先輩・後輩だった縁で練習見学に来たことだった。
「全然走らないと聞いたし、全体で(ウォーミング)アップもしない。知らない器具もあっておもしろいなと思いました」
練習体験で武田高校に訪れた際に、谷岡は衝撃を受けた。
練習時間はわずか50分。
山陽新幹線の東広島駅から車を走らせ20分弱の山奥にある私立武田高校。1934年夏の甲子園(当時は全国中等学校優勝野球大会)を制した呉港高校と兄弟校(学校法人呉武田学園)にあたるが、武田高校には甲子園出場経験もなければ、スポーツ推薦制度もない。
進学に力を入れており、平日は夜間にも授業があるため練習時間はわずか50分。グラウンドはある程度広いが、他部との併用で内野ほどのスペースしか使えない日も多い。
そんな環境の武田が昨秋、大きな爪痕を残す。県8強に進出し、後に中国大会を優勝しセンバツ甲子園に出場した広陵に4-6と善戦。そして谷岡は大会後の11月、ついに大台を超える151キロを計測した。
恵まれているとはいえない環境下と中学時代の実績もほとんどない谷岡ら選手たちは一体、どんな鍛錬を積んで急成長を遂げているのか。それが知りたくて昨年12月に野球部の練習を訪ねた。