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「あんなに元気だった子が、なんで…って」練習中に同期選手が急逝…元女子プロレスラー・西脇充子が明かす「22歳で引退を決意した理由」
posted2024/04/07 17:00
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
L)Takuya Sugiyama、R)東京スポーツ新聞社
現在は、浅香山部屋の女将さん。親方で夫、元大関・魁皇の浅香山博之さんとともに弟子を育てて、部屋を切り盛りする。美人女将が振り返る、女子プロ黄金期とは。《NumberWebインタビュー全3回の初回》
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西脇 いい時代にプロレスをやらせてもらいましたよ。あの時代が、今の私を生かしているって感じ。ひと握りの人しか女子プロレスラーになれない時代でね。私の代で3000人以上の書類審査からオーディションに受かったのは10人。その後の補欠合格で、最終的に同期は15人になったんだけど、どんどん辞めていっちゃうのね。私は5年しか続けなかったけど、短いからこそ「最高の青春時代だった!」と振り返ることができるかもしれないです。本当に貴重な経験をさせてもらいました。今でいうパワハラが当たり前で、その応酬の毎日。足を踏まれても、(後輩の)こっちが「すいません!」って謝る時代で。
――同期には、北斗さんがいて。
西脇 北斗はもう、新人のときからずば抜けてた。あの子と仲前芽久美(ドリル仲前)は練習生だったんで、「えっ、先輩!?」って思うほど何でもこなせていたし、場慣れしてた。10人の先輩が10発ずつ1人の新人を投げる「百発投げ」っていうのがあったんだけど、受けるこっちはふらっふらになるわけ。それが嫌で、辞めていく子も多かった。最後まで受けきったのが、北斗。私、目の前で見てた。
練習中に急逝…同期だった佐藤真紀さんへの思い
――入団した年の5月、同期の佐藤真紀さんが八丈島合宿中に昏倒して、急逝しました。私が、「女子プロの子」が死ぬことを初めて知った事故でした。
西脇 そうなんだ。真紀ちゃんは2歳年下で、中卒で入ってきたから当時15歳。Aチームで、北斗と同じエリートのできる子だったんだよね。私は、旅(地方巡業)とかにも置いてかれるBチームで、八丈島のときはAチームが練習中に大騒ぎしはじめたから、「なんだ、なんだ?」って。
――入団間もないから、同期の関係性はそれほど深くなかったのではないですか。