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「ノーヒットノーランやっちゃえよ」松坂「あーあ、言っちゃった」甲子園決勝ノーノー寸前で起きた“事件”「本当に打たれたくないと思ったのは…」 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byNIKKAN SPORTS/AFLO

posted2022/08/22 06:02

「ノーヒットノーランやっちゃえよ」松坂「あーあ、言っちゃった」甲子園決勝ノーノー寸前で起きた“事件”「本当に打たれたくないと思ったのは…」<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS/AFLO

今から24年前の1998年8月22日、甲子園決勝でノーヒットノーランを達成した松坂。終盤のマウンドで何が起きていたのか

 9回。あと3人となっても、松坂はあくまでチームの1ピースだった。

「途中から野手のみんなの雰囲気が変わったのはわかっていましたよ。だからなるべくリラックスさせようと。(齊藤)清憲にも冗談っぽく『おい』って言ったんです。当然なんですけど、野球は1人ではできないということです。調子が良い時でさえ全部三振に取れるわけではないし、それも受けてくれる捕手がいる。僕は守ってもらって勝ってきましたし、エラーが出た時こそ、絶対に抑えてやると思っていました」

 そして、9回2死。あと1人。この期に及んでも、松坂はまだ奇跡を信じていない。

「スコアボードはずっと見ていましたけど、ノーヒットノーランができるとは思っていませんでした。それまでも最後にポテンヒットで1安打完封というのはありましたから。本当に、打たれたくない、三振で決めてやろう、自分でアウトにしてやろうと思ったのは、最後の1球です」

ようやく松坂はこのゲームの主になった。独りになった

 最後の打者を2ストライクと追い込んだ時、ようやく松坂はこのゲームの主になった。独りになった。

 スライダーにバットが空を切る。その瞬間、くるりとバックスクリーンを向いて、拳を握った松坂の姿を、人々は怪物として記憶している。

 不思議なことに、澤井はあの瞬間から今まで、一度たりとも、ノーヒットノーランを屈辱だと思ったことはないという。

《まず、相手が松坂大輔だったということです。松坂に正面からぶつかったことで、やり切ったんだと思えた。あの後、彼が活躍するにつれて、僕らのノーヒットノーランがどんどん誇らしくなっていった》

 だから試合の後、閉会式の準備が始まる中であわててポケットに砂をつめこんだ。あの日の汗と記憶は、今も小瓶の中で大切に保管されている。

【次ページ】 あの打球はやはり3cm、外だった、と

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