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「あの1球で僕は目が覚めた」甲子園決勝ノーヒットノーランの松坂大輔が「間違いなくヒットだ」と思った“1回表の2球目”
posted2022/08/22 06:01
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
KYODO
今から24年前の1998年8月22日、偉大なる記録が生まれた。59年ぶり史上2人目となる、夏の甲子園決勝でのノーヒットノーラン達成。当時を振り返る松坂大輔は、ある“一球”がその奇跡へと繋がったと明言した――。横浜と京都成章の元ナイン、試合を見守った審判員の証言を交えながら、伝説への道程を本人が語る。
(初出:『Sports Graphic Number』959号、2018年8月16日発売。肩書などすべて当時)<全2回の前編/後編は#2へ)
(初出:『Sports Graphic Number』959号、2018年8月16日発売。肩書などすべて当時)<全2回の前編/後編は#2へ)
松坂大輔は奇跡を起こそうなどとは考えていなかった。
1998年8月22日。春夏連覇をかけた決勝戦、そのマウンドに上がる自分ときたら、身体は重力に引きずられていたし、何よりも肝心の魂が、まるで燃え残りのようだったからだ。
「全身が重たく感じたんです。いつもよりも動いてくれない。だから打たせて取るピッチングをしようと思っていたんです。今までそんなことをやったこともないのに。
それに正直、決勝の相手が京都成章ということで舐めていました。PL、明徳と戦ってきて、チーム力ではその2校に劣ると思っていて……。普通にやれば負けることはないと思っていました」
運命のような1球が、プレーボール直後に訪れる
2日前に延長17回、250球の死闘を制し、前日には8回から6点差をひっくり返した逆転ゲームの最後のマウンドに立っていた。奇跡はもう十分だった。横浜高校のエースに、これ以上、心に点火せよと言っても、それは無理な注文だった。
松坂は特別なドラマではなく、順当な勝利だけを望んでいたのだ。
だが、そんな思いとは裏腹に、甲子園は松坂を奇跡へと導いていく。そして、後から振り返れば、あれが……という運命のような1球が、プレーボール直後に訪れる。
1回表。京都成章の主将・澤井芳信は1番バッターとして松坂と向かい合った。
《テレビの画面を見ているような感じです。まったく雲の上の存在でしたから》