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「五輪期間中の睡眠は連日1、2時間でした」平井理央39歳が振り返る、過酷な『すぽると!』スポーツキャスター時代
posted2022/07/30 11:00
text by
秋山千佳Chika Akiyama
photograph by
Miki Fukano
元フジテレビアナウンサーの平井理央さんは、入社して早々『すぽると!』2代目キャスターに抜擢された。華やかなイメージとは裏腹に過酷を極めたスポーツキャスター時代。当時の過酷なスケジュールや、平井さんのスポーツ観を変えたある出来事を明かしてくれた(全3回の1回目/#2、#3に続く)。
――平井さんというと、2005年にフジテレビに入社した前後は「元アイドル」という取り上げられ方が多かった印象があります。当時、どう受け止めていましたか。
平井 学生時代に『おはスタ』(テレビ東京系)という子供向け番組に出演してグループでCDを出したとことで「元アイドル」と捉えられたのですが、自分としては、アイドルだったという強い意識はなかったんです。そういう取り上げられ方と、本当の自分とのギャップは少し感じていましたね。
――ご自分ではアナウンサーになって、どんな仕事をしたいと描いていたんですか。
平井 就職活動に遡ると、もともと映画が好きだったので、映画や映像に携わる仕事ということで映画配給会社や広告代理店、テレビ局などにエントリーしようとしていたんです。その最初の試験が、アナウンサー試験でした。先輩から「アナウンサー試験を受けておくと人事の人に覚えてもらえて、一般職の採用で有利になるかもしれないよ」と聞いて、場数を踏もうと思って受けたんです。
――ということは、アナウンサーはあくまで選択肢の一つという位置づけだったんですか?
平井 そうですね。アナウンサースクールにも通っていなかったですし、かなり体当たりな受験者だったと思います。ただ映画好きとして、情報番組で映画の魅力を伝えるような仕事をできたらいいな、とは思っていました。
「『すぽると!』決定で、慌ててスポーツ紙を読み始めた」
――入社翌年の2006年、情報番組ではなくスポーツ番組の『すぽると!』に決まったと聞いた時はどんな心境でしたか。
平井 ビックリと不安とで、嬉しさはまったくなかったです(笑)。ものすごく大きな服を着せられるような感じで、自分に務まるかどうかという不安が大きかったです。というのも、前任者が「ウッチー」という愛称で大人気の内田恭子さん(元フジテレビアナウンサー)だったので、自分に同じことができるのかなというのがとにかく心配でした。
――大きな役目だからこそ、不安も大きくなりそうですね。