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「一撃必殺で仕留めろ」小島聡51歳が語るハンセン直伝のラリアット「一生の宝になりましたね」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2022/07/16 11:05
史上4人目の”グランドスラム”を達成した51歳の小島聡
ラリアットの極意を得て時間を掛けながら自分流にしていくことで、のちの3冠ヘビー級王座奪取を始めとする真のブレイクを迎えるわけである。今年6月、潮崎豪をマットに沈めたのもやはりラリアットであった。
小島の代名詞と言えばラリアットもさることながら、「気合い」である。
「いっちゃうぞバカヤロー!」は自分を鼓舞することから始まっている。最初の師・アニマル浜口のエッセンスでもあるが、プロレスそのものを教えてもらった馳浩、佐々木健介の指導の影響もあるという。
「気迫を前面に押し出すファイトを刷り込まれたところはあったし、何より僕はアマレスなど格闘技の実績が何もなかったので気迫で見せるしかなかった。そういうファイトが自然と自分の軸にはなっていきました」
ライバルであり盟友である天山の存在
気迫を真っ向からぶつけて、逆に気迫を返してくれる相手だと化学反応を起こしやすい。ずっとタッグパートナーであり、ライバルである盟友の天山広吉がまさに自分を高めてくれる存在にもなった。
同い歳だが、入門は天山のほうが1年先。デビュー戦の相手でもあり、マットを降りれば今も「さん」付けで呼ぶ。ただ「新日本に入って誰よりもやさしかったし、頼りにさせてもらいました」。天山がいるから頑張れた。2001年に新日本退団を決めた後、直接連絡して自分なりに筋を通した。
2人の対決で語り草になっているのが2005年2月、3冠王者とIWGP王者として戦うことになった両国国技館でのダブルタイトルマッチだ。両団体の看板を背負い、意地と意地がぶつかったこの試合は59分45秒、天山が脱水症状で立ち上がれずにKO決着となる。
最後まで天山の体を引き起こそうとする小島の姿が印象的でもあった。
「戦っている最中も、試合が終わった後も天山さんが脱水症状起こしているとはまったく分からなくて。気持ちとしては引きずり起こしてでも、自分の技できっちり決めたいという思いしかなかった」
新日本の外敵としてIWGP王座まで手中に収め、その後天山にリベンジを許して奪還されることになる。新日本マットに復帰した際も、大事なタイミングでいつもシングルマッチが待っていた。
「プロレスってひとりじゃできない。ライバルがいて成り立つジャンルですから。ターニングポイントの要所にいつも天山さんがいてくれるのは僕にとってありがたいこと。感謝しています」