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[最古参記者の回想]後楽園ホールとプロレスの起承転結

posted2022/07/17 07:00

 
[最古参記者の回想]後楽園ホールとプロレスの起承転結<Number Web> photograph by Nikkan Sports

'99年6月後楽園で行われた柴田勝久(左)の引退興行で、息子・勝頼(右)をボディスラムで叩き付け、「息子に夢を託します」と語った

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門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

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Nikkan Sports

 プロレスの聖地と私は“同期”だ。後楽園ホールが「ボウリング会館」として誕生した1962年、東京スポーツ新聞社に入社した。初めてプロレス関係の取材をしたのは翌'63年、12月15日の深夜だった。

 ボクシング担当だった当時、後楽園ホールでの取材を終えて、社で原稿を書いていた。するとホールに同行していたカメラマンが、暗室から飛び出して叫んだ。

「大変だ! ボクシングどころじゃない! 力道山が死んだ!」

 何が何だかわからないまま、遺体が運ばれた力道山の自宅に飛び込んだ。普段、軽量級のボクサーばかり取材していたから、プロレスラーの大きさに驚いた。殺気立った現場の雰囲気がとにかく恐ろしかった。

 そんな私が10カ月後にプロレス担当となり、60年近くもプロレスの取材を続けるなんて、想像すらしていなかった。いまや後楽園ホールは“セカンドオフィス”だ。

 後楽園ホール興行を疎かにする団体は、必ず失敗する。リングと客席が近いため、観客が何を求めているのか、ダイレクトに伝わってくるからだ。しょっぱい試合をすれば野次が聞こえてくる。もちろん良い試合をすれば、たとえ前座の試合でも沸き上がる。当然、選手たちも気合いが入る。

 かつて新日本プロレスには「前座の力道山」と呼ばれたドン荒川というレスラーがいた。鹿児島出身で、同郷の栗栖正伸と対戦すると、前座にも関わらず激しい頭突きの応酬。両者一歩も引かず、ゴーン! という衝突音と大歓声の連続だ。あまりの盛り上がりに、アントニオ猪木や坂口征二も控え室を飛び出して観戦していたほどである。

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