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「いっちゃうぞバカヤロー!」小島聡51歳が明かす波乱万丈のプロレス人生「武藤さんから3日後に返事くれと言われて…悩みに悩みましたよ」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2022/07/16 11:04
6月にGHCヘビー級タイトルを奪取しチャンピオンベルトを肩にかける小島聡
格闘技歴に柔道はあるものの、何か実績を残したわけでもない。アニマル浜口ジムで体を鍛えるだけのつもりが、プロレスラーになることが目標に変わった。
1度決めたら迷わない。トコトンやる。
真面目に取り組む姿勢が評価されて浜口から当時、新日本で若手の指導役を担っていた馳浩に連絡がいき、トレーニング開始から3カ月後に浜口ジムで体力テストを行なうことになった。ここをパスしたことで新日本プロレスの入門テストに臨み、見事合格したのである。2年のサラリーマン生活にピリオドを打ち、1991年2月に晴れて入門した。その年の7月には早くもデビュー。浜口ジムに通い始めて9カ月でメジャー団体のマットに立っているのだから、ここまで劇的に変化する人生はなかなかの「激レアさん」だ。
禁断の移籍でプロレス界を揺るがす一大ニュースに
レスラーになってからも劇的な変化が待ち受けていた。
デビューから3年も経たずに若手の登竜門であるヤングライオン杯を制して海外修行に出向き、帰国後はIWGPタッグ王座を獲得するなど1気に名を上げていった。そんななか武藤に誘われる形でヒールユニットのnWоジャパンに加入。順調に出世街道を歩んでいたのに、2002年1月いっぱいで新日本を退団する。格闘技路線に反発した武藤に追随しての全日本移籍はプロレス界を揺るがす一大ニュースとなった。
小島が述懐する。
「暮れのタッグリーグで天山(広吉)さんとテンコジで優勝して、次の年も頑張っていこうと思っていた矢先、武藤さんから話がありました。本当にびっくりしましたね。私自身は(格闘技路線に対して)別に不満があったわけでも何でもない。自分の信念を貫けばいいって思っていたので。武藤さんから3日後に返事くれと言われて、悩みに悩みましたよ」
武藤に言われたことは「天山と相談して決めるんじゃない。お前自身で決めろ」。そのためレスラー仲間、プロレス関係者には誰にも相談しなかった。最終的に出した答えが、武藤についていきたいとの思いだった。
「武藤さんと組むようになって、すべてにおいてスーパースターのこの人からいろんなものを吸収したいってずっと思っていましたから。あとは新しい可能性へのチャレンジですよね」