- #1
- #2
熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
ブラジル代表屈指の「品行方正な10番」カカ40歳は今何してる? 引退後モデルの女性と再婚…「フットボールと学業の両立」大使も
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byNaoya Sanuki
posted2022/07/18 17:01
ブラジル代表のエースだった頃のカカ。40歳になった今、どうしている?
休みの日にプールで遊んでいて、頭をコンクリートの床で強打して脊椎を損傷。医者から、「危うく下半身不随になるところだった。また選手に戻れるかどうか、保証はできない」と言われた。それでも、懸命のリハビリを経て、2カ月後、チームに復帰した。
すると、今度は幸運が訪れた。U-20に在籍していた2000年、トップチームの練習に駆り出されたところ、監督に非常に高く評価された。以来、常にトップチームで練習を積むようになった。
日韓W杯、ミランで一気に名を上げた
そして、2001年初めに開催されたリオ・サンパウロ・トーナメントに登録されると、2月1日のボタフォゴ戦の後半途中からデビュー。以後も途中出場を繰り返すと、3月7日、本拠地モルンビー・スタジアムで行なわれたボタフォゴとの決勝第2レグで2得点をあげてチームを逆転勝利に導いた。以後は先発で起用されるようになり、この年、55試合に出場して17得点をあげた。
この活躍がブラジル代表のルイス・フェリペ・スコラーリ監督の目に留まる。2002年1月、ボリビアとの強化試合に初招集されると、3月のアイスランド戦で代表での初得点をあげた。
そして、20歳にして2002年ワールドカップ(W杯)に招集された。彼自身はグループステージのコスタリカ戦に途中出場しただけだったが、チームは5度目の優勝を達成した。
02-03シーズン、38試合に出場して23得点をあげると、03-04シーズン前半も好調だった。これを見て、サンパウロFCとブラジル代表の先輩で、当時ACミランのスポーツディレクターを務めていたレオナルドがクラブに獲得を進言。2003年8月、移籍金850万ユーロ(約12億円)でACミランに加わった。
当初、クラブは彼をポルトガル代表の名手ルイ・コスタの控えと考えていたようだった。しかし、インテリジェンスと適応性を発揮してすぐにチームのプレースタイルに馴染み、チャンスメイクとフィニッシュの両方で力を発揮してコスタをベンチへ追いやった。
ミランでの輝きから一転、マドリーでは…
03-04シーズンのセリエAで30試合に出場して10得点をあげ、チームのスクデット獲得に貢献。ミラニスタの心を鷲掴みにした。
以後はチームの中心選手となり、2006-07シーズンの欧州CLで10得点をあげて得点王に輝き、優勝の立役者となった。さらに、2007年12月に日本で開催されたクラブW杯でも決勝でボカ・ジュニオルズを下して優勝。この年の世界最優秀選手に選ばれた。