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大谷翔平の電話アドバイスで「臆せず日本に行ける」「ショーヘイの実家の裏庭は…」元同僚・巨人シューメーカーが明かす“素顔と友情”
posted2022/07/14 17:01
text by
赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph by
Nanae Suzuki/Hideki Sugiyama
マット・シューメーカーは新外国人の中で、大谷翔平のプレーを最も間近に見て、親交も深かった元メジャーリーガーである。
大谷がメジャーに移籍した1年目の2018年、ともにエンゼルスで先発陣の一角を担った主力投手同士。通訳の水原一平も交え、食事をともにする間柄だった。そこでシューメーカーは、このシーズンオフに巨人と契約すると、自ら大谷に電話をかけ、日本の野球について助言を仰いでいる。
「翔平にはいろいろと日本のことを教えてもらいました。言葉の違いがあるのでもっぱら一平を通してですけどね。野球自体の違いや、打者のアプローチの仕方や待ち方の違いとか。でも、すべては些細なことだと翔平は言うんです。アメリカにいい打者がいるように、日本にも優れた打者がいる。それはどちらも変わらないよ、と」
そうした実際のゲームに即した情報以上に、日本の生活に馴染み、文化を理解することが大切だと大谷は強調した。「これが大きかった」とシューメーカーは言う。
「翔平によれば、アメリカではとくに気に留めなくてもいいような対象や物事にも、日本では敬意を表する。そういう文化が、日本にはあると教えられました。例えば、自然の美しさとか、街並みがきれいであることとか、そういうことを日本人は当たり前と思わず、常に敬っているんだとね」
そして、大谷は「日本に行ったら、日本の生活が大好きになるよ」と予言した。
「ひとつひとつの細かい助言、具体的な話がためになったというより、そうした文化や生活全般に関する話を聞いて、僕も安心できたんですよ。よし、これで臆することなく日本に行けるぞ、と思えました」
2014年の日米野球時点で「すごいパワーだった」
シューメーカーが初めて大谷と出会ったのは8年前の'14年に行われた日米野球だ。メジャーで自己最高の16勝(4敗)、勝率8割をマークしたこの年、MLBのエースとして来日。侍ジャパンの先発の柱だった20歳の大谷と、第5戦で投げ合った。
「僕の記憶が間違っていなければ、当時の翔平はジャパンで一番力のある選手だとMLBのみんなが知っていたはず。あの若さで、コンスタントに100マイルのスピードを出していることには驚かされたな。試合前のフリー打撃でも大きな当たりを連発していたし、本当にすごいパワーだった」