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「新日本プロレスが存在している意味がない」オカダ・カズチカらは木谷オーナー“涙の猛ゲキ”にどう応える? 真夏の『G1』で反転攻勢なるか
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/07/14 11:04
2021年の『G1 CLIMAX』で3度目の優勝を果たしたオカダ・カズチカ。木谷高明オーナーによる“涙の猛ゲキ”に選手たちは応えられるのか
サッカーのJリーグでは6月から段階的に公式戦での「声出し応援指定試合」でデータ収集を続けていたが、8月途中までの声出し応援可能試合スケジュールを拡大して発表済みだ。一部のクラブではスタンド記者席やピッチのフォト撮影ポジションでのマスク着用義務をすでに撤廃している。声出しへの動きは観客を呼び戻すための重要な課題であるため、クラブも真剣に取り組んでいる。
筆者は5月末にパリのスタッド・ド・フランスで行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝に行ったが、取材も全面解禁で、コロナ前の通常オペレーションに戻った満員のスタジアムでマスクをつけた観客を見つけることはなかった。声援も歌も通常通りでサッカー場にいる雰囲気を十分味わえた。日本はヨーロッパより政治的に1年近く遅れているから、ここまで行くにはまだ時間がかかるかもしれない。
「猪木さんから勇気や夢をもらった」木谷オーナーの涙
木谷は「戦略発表会」で目を潤ませていた。彼が最初にプロレスを見に行ったのは、蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vsジョニー・パワーズだった。タイガー・ジェット・シンと上田馬之助を裏の駐車場まで追いかけたという。
「なぜここまで熱くなるのかというと、僕が今日あるのも新日本プロレスのおかげだと思っているからです。47年前、高校1年生です。プロレスって本当に面白かった。猪木さんの試合で何度も感動させてもらったし、またいろんな世界戦略、構想を聞いて、すごく勇気や夢を与えられました。僕が新日本プロレスから、猪木さんから夢とか感動とか勇気とか未来を与えてもらったように、みなさんにも生きる元気をそこから得てほしい。
未来に大きな企業を作った人が、新日本プロレスのおかげで作れました。ビッグなスターになった人が、新日本プロレスをきっかけにこの道を選びました。いま大変な境遇の人が、新日本プロレスがきっかけで立ち直ることができました。家族が仲良くなりました、絆が深まりました、友達と再び仲良くなることができました……。そんなきっかけを作りたいんです」
50年というレガシーは資産だが、と前置きしたうえで、それが足かせになることにも木谷は言及した。プロレスは変わっていくものだ。プロレスの原点が古代パンクラチオンやガス灯時代のものだったとしても、いや、そこまで遡らずとも50年前、いや30年前のものともすでに大きく違っていると筆者は思っているし、OBのレスラーたちもそれは公然と口にしている。その選択が正しいか否かは別の話だ。審判は歴史が下すことになる。