“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
“J1出場ゼロ&代表歴なし”でもベルギー名門から1.6億円超オファー…164cm本間至恩(21)は何がスゴい? 新潟との「幸せな別れ」とは
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/07/11 11:02
J1昇格を目指すJ2アルビレックス新潟からベルギーリーグで3連覇中の名門、クラブ・ブルージュへの移籍が濃厚となったMF本間至恩(21歳)
「ユースの試合はプロの試合よりプレッシャーが遅いし、ボールをたくさん持てると思うのですが、ボールを持ちすぎたら相手に奪われたり、チャンスを不意にしてしまう。これではプロの舞台ではやっていけない。常に高いレベルでやる意識を持ってやっていきたいと思っています」
実はこの日本文理戦の3時間前、同じピッチでは新潟vs山形戦が行われていた。仲間たちと前半の途中まで観戦し、この試合に臨んでいたという。
ユースの試合が行われる頃には多くの人たちが帰路に着いていたが、「トップの試合を見た観客の方々がわざわざ残って僕らを応援してくれていた。凄くモチベーションが上がりました」と屈託のない笑顔を見せた。
「またあのピッチでプレーをしたいと思いましたし、やっぱり僕がいるべき場所はあそこなんだと思いました」
そんな純朴な青年は、ビッグスワンのピッチですぐに主役になる。
Jデビュー戦では決勝ゴール
翌年も2種登録が継続され、18年7月末にトップチーム昇格内定を発表。9月15日のJ2第33節ツエーゲン金沢戦でJリーグ初出場を果たすと、アディショナルタイムにチームを救う決勝点を奪う活躍を見せた。
プロ1年目の19年は左サイドハーフでJ2リーグ28試合出場(スタメン8試合)、2年目の20年にはレギュラーの座を掴み、リーグ40試合(スタメン30試合)で7ゴール7アシストと大活躍した。
そして昨季はアルベルト・プッチ監督(現・FC東京)のもとで重要なキーマンとなった。4-2-3-1の左サイドハーフでビルドアップの帰着点となり、高速カットインと縦突破を駆使してチャンスを量産。同シーズンから強化部に就任した本間勲も、「(プロになってからは)止まっている時間が多いように感じていた」と言いながらも、「アルベルト監督になってから中盤でボールを受けて前に運ぶプレーも出るようになった」と目を細めるほどの成長をみせ、ユース時代からの目立った情報収集力と処理能力の高さに磨きをかけていった。
直前で判断を変えられる頭脳とクイックネスのドリブルは、「わかっていても止められない」と恐れられる唯一無二の武器になった。