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プロ野球PRESSBACK NUMBER
ヤクルト「恐怖の1番」塩見泰隆、ウィキペディア記載“イノシシ伝説”の真相…恩師「“塩見!出たぞ~!”って。あいつも“行ってきまーす”と」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNumber Web
posted2022/07/08 11:01
ヤクルト快進撃の原動力・塩見泰隆29歳。あの“イノシシ伝説”の真相を知るべく、帝京大の練習場に潜入した
恩師が惹かれた“ヤンチャな18歳塩見”
今でこそ最強打線のリードオフマンとして活躍する塩見だが、ポテンシャルが開花するターニングポイントとなったのは帝京大への進学だった。武相高では、3年夏に神奈川大会でベスト8進出。その脚力は県内で目を引いたが当時は体の線が細く、プロが注目するほどの選手ではなかった。唐澤監督は、高校時代の塩見の印象をこう語る。
「スピードはあるけれど、そこまでビックリするほどではなかったですね。肩も強いとは思わなかった。バッティングは力は強くないんですが、捉えるのが上手い。センターから右方向に凄く伸びるボールが打てるという印象がありました」
当時は監督就任1年目。41歳だった唐澤監督が惹かれたのは、その身体能力以上に、塩見が醸し出す“やんちゃ”な雰囲気だったという。
「当時のチームは全体的に真面目で、いい意味でのやんちゃさがなかったんです。お利口さんの集団だと勝負の局面で勝てない。ちょっとこう、一つの枠があったらそこからはみ出すギリギリのやつが欲しかった。塩見はまさにそんな選手でした。野性的で勝負強い、何か持っている子だと感じました」
塩見の評判は良いものばかりではなかった。生意気でやんちゃ――。しかし、かえってそこに興味を惹かれた。唐澤監督自身、大阪の強豪・上宮高で3年時にキャプテンをつとめた経歴の持ち主。同学年だった立浪和義(現・中日監督)が率いたPL学園と大阪府大会で毎度火花を散らした歴戦の雄だ。
「自分も二十歳前後の頃は、何となく塩見に似たところもありましたから。そういう子はかわいいし、そういう存在がチームに欲しいと思ったんです」
振り返れば、最高の理解者を得たことが塩見の幸運だったかもしれない。同級生のチームメートは、奇しくも後にプロ野球で火花を散らすことになる青柳晃洋(阪神)と西村天裕(日本ハム)。相模湖の大自然とイノシシとともに、塩見は伝説への一歩を踏み出した――。
<後編へ続く>
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