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ビスマルク「日本人に魅了されて(優勝した)W杯を諦めた」 Jで輝き、引退後も敏腕代理人になれたワケ〈日本vsブラジル初対決で決勝点〉
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKoji Asakura
posted2022/06/07 06:00
ヴェルディ時代のビスマルク。Jリーグ黎明期を彩ったスターだ
最も印象深いのは、中田英寿
'03年後半のヴィッセル神戸時代を含め、ビスマルクの日本生活は実に9年におよんだ。その間、Jリーグを5度制覇し、タイトルを12個も獲得。彼ほどJリーグを知り、活躍した外国人選手はいないだろう。
「僕だけの力ではない。ヴェルディもアントラーズもクラブの組織がしっかりしていて、フロントが有能で優れた選手が揃っていた。自分も、外国人選手として行くからには最大限の努力をして日本、Jリーグ、チームに馴染まなければならないと考えていた。それをできる限り実行したことが成功につながったと思う。
当時のJリーグには、ジーコ、レオナルド、ドゥンガ、ストイコビッチ、ラモン・ディアス、リトバルスキー……優れた外国人がたくさんいたね。日本人ならカズ、中山(雅史)、小野(伸二)らが印象深いけど、誰か一人だけと言われたら中田英寿だ。素晴らしいテクニックを持ち、創造性豊かで、失敗を恐れず自分のアイディアを実行する勇気があった。また、先輩、後輩の序列が厳然としてある日本で、彼はそれを全く気にしておらず、誰とでも同じように接していた。プレーも人間性も、他の日本人選手とは全く異なっていたよ」
今は、昔から目指していた代理人に
現在、ビスマルクは選手の代理人を務めている。ブラジル有数の辣腕代理人と共同で事務所を設立。有力選手約60人と契約し、10カ国以上に選手を送り出す。Jリーグへは、'05年にアレックス・ミネイロを鹿島へ送り込み、最近では昨年末、右SBマギーニョの川崎フロンターレ移籍を手がけた。
「昔から、現役を引退したら代理人になりたいと思っていた。選手時代の自分には代理人がいなくて苦労したから(笑)。Jリーグは、以前のように多くの優秀な外国人選手を受け入れてレベルを高める必要がある。僕も今の仕事を通じて、日本サッカーの成長の手助けをしたいね。また、代理人業とは別に、ブラジルと日本での選手生活を通して学んだことを講演などで多くの人に伝えたいと思っているんだ」
外見はソフトだが、自分の意見は理路整然としっかり述べる。厳しい代理人の世界を逞しく生きる男は、足早にリオの町へ消えていった。
ビスマルク(Bismarck)
[生年月日] 1969年9月17日
[国籍] ブラジル
[ポジション] MF
[所属クラブ]
1985-1993 ヴァスコ・ダ・ガマ(ブラジル)
1993-1996 ヴェルディ川崎
1997-2001 鹿島アントラーズ
2002.1-2002.5 フルミネンセ(ブラジル)
2002.6-2002.12 ゴイアス(ブラジル)
2003 ヴィッセル神戸
[Jリーグ実績]
J1 283試合69得点
1993、1994 ヤマザキナビスコカップMVP
1994、1995、1997 ベストイレブン
[代表歴] ブラジル代表 13試合1得点
[現職] 移籍代理人の事務所経営者