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ビスマルク「日本人に魅了されて(優勝した)W杯を諦めた」 Jで輝き、引退後も敏腕代理人になれたワケ〈日本vsブラジル初対決で決勝点〉
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKoji Asakura
posted2022/06/07 06:00
ヴェルディ時代のビスマルク。Jリーグ黎明期を彩ったスターだ
「日本と日本人に魅了されて……」
'94年1月、期限付き移籍はあっと言う間に満了する。だがV川崎は契約延長を強く望み、それはビスマルクも同様だった。
「日本へ行く前は、1月に戻って6月のW杯出場を目指そうと思っていた。でも考えが変わったんだ。日本と日本人に魅了されて、もう離れたくなくなっていた。だからW杯出場の夢は諦め、ヴェルディと再契約することにした。ヴァスコが保持していた僕のパス(所有権)を自分で買い取ってヴェルディへ完全移籍したんだよ」
'94年、V川崎でJリーグ連覇に貢献。この年から2年連続でベスト11にも選ばれた。しかし、この頃のV川崎は財政難に陥っており、'96年末の契約更改で多くの選手がプレー内容とは無関係にダウン提示を受ける。それは主力とて例外ではなかった。
ビスマルクは契約更改の席上、社長から23%ダウンを提示された。大幅アップがふさわしいと思っていたが、クラブが置かれた状況を考慮し、「17%のダウンなら契約します」と言って手を差し出した。ところが、社長は彼の手を握ることなく、「少し考えさせてほしい」と答えた。
「愕然としたよ。それまでヴェルディに貢献してきた自負があったし、クラブを愛していただけにね。とても悲しかった。結局、僕はヴェルディを退団することになった。すると、鹿島にいたジョルジーニョから電話がかかってきた。『退団するというのは本当か』『アントラーズと話をする気はないか』って。あると答えると、すぐにジーコが連絡をくれて、一緒にやろうって誘ってくれたんだ。彼は僕の子供の頃からの憧れ。断る理由はなかった」
鹿島で実感したジーコスピリット
こうして、宿敵・鹿島移籍が決まった。
「鹿島には、ジーコ・スピリットが息づいていた。彼が常にプロ選手としてあるべき模範を見せ、他の選手たちが彼を忠実に見習う。そのことが、他クラブと大きな違いを生んでいた。鹿島のコーチングスタッフはほぼ全員ブラジル人で、ブラジル選手も多かったから、溶け込むのは容易だった。日本人選手の中で特に親切に接してくれたのはあの本田。ヴェルディ時代は粘り強いマークに悩まされたけど、選手としても人間としても素晴らしい男だった」