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アメリカ銃乱射事件「いつになったら、手を打つんだ?」NBA名将が異例の“激怒会見”…18歳の頃、父を銃撃事件で亡くした過去 

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宮地陽子

宮地陽子Yoko Miyaji

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photograph byAP/AFLO

posted2022/06/07 17:00

アメリカ銃乱射事件「いつになったら、手を打つんだ?」NBA名将が異例の“激怒会見”…18歳の頃、父を銃撃事件で亡くした過去<Number Web> photograph by AP/AFLO

プレイオフ進出を懸けた試合前の会見で、異例のコメントを述べたスティーブ・カーHC(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)

 現在56歳のカーにとって、人生で一番悲しい黙とうは1984年1月、カーが18歳で、アリゾナ大1年のときに捧げた黙とうだった。その4日前にレバノンのベイルートで命を落とした自分の父に対する黙とうだった。当時、ベイルートのアメリカン・ユニバーシティの学長だった父、マルコム・カーは、学内で2人の暗殺者に銃で撃たれて亡くなった。あれから38年の年月がたち、いつのまにか当時52歳だった父の年齢を超えた今でも、父の話をすると胸が締めつけられる。

 今、彼がアメリカで頻発する銃撃事件のたびに被害者や家族を思って心を痛め、試合直前でも怒りをあらわにして銃規制を訴えるのは、彼自身がそんな経験をしてきたからだ。父が殺害されたときとは国や状況など事件の背景に違いはあるが、銃暴力の被害者家族であることに変わりはない。だからこそ自分にできることをしたい、たとえ微力でも問題解決に向けて訴え続けたいという気持からだ。

 去年、PBS(アメリカ公共放送サービス)のインタビューを受けたカーは、その思いについてこう語っていた。

「父がああいう形で亡くなったこともありますし、これはこの国にとってとても大きな問題です。だからこそ、私が追い求めるプロジェクトと考えているのです」

NBAへの道を切り開いてくれた父

 カーにとって、亡くなった父は大きな存在だった。父はスポーツ選手ではなかったが、スポーツ好きな人だった。家の前のドライブウェイで、よく1対1の相手をしてくれた。父が勤めていたUCLAの男子バスケットボールの試合でボールボーイをできたことも、今となってはいい思い出だ。大学を決めるときには、カーを勧誘しておきながらしばらく連絡をくれなかったルート・オルソン(当時のアリゾナ大ヘッドコーチ)に電話をかけ、奨学金をオファーする気があるのかと問いただしてくれた。あのときの父の電話がなければ、カーは別の、アリゾナ大より弱小の大学に進学していた。そうなっていたらNBAへの道も開けていなかったかもしれない。

【次ページ】 コーチ業にも生かされる幼少期の経験

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