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「あの日、井上くんが控え室まで来てくれて…」“井上尚弥に敗れた王者”田口良一がいま明かす「引退まで、彼以上のボクサーはいなかった」
text by
林壮一Soichi Hayashi Sr.
photograph bySankei Shimbun
posted2022/06/06 17:03
2013年8月25日、日本ライトフライ級タイトルマッチ。田口は初防衛戦の相手に井上尚弥(当時20歳)を指名。写真は前日計量での2人
「井上くんは、常にあんな気持ちで戦っているのでしょう。自分も、いつもバレラ戦のようにやっていたら、また違ったかもしれませんね。(WBA/IBFタイトルを失った)ヘッキー・ブドラー戦の時なんて『この人は紳士だな。人間性がいいな』なんて感じていましたから。あの試合は、コンディションをうまく作れずに負けてしまいましたが……」
田口は2014年12月31日のWBAライトフライ級タイトル挑戦から、同タイトル8度目、IBF王座では初となった2018年5月20日の防衛戦まで、9度の世界戦を大田区体育館で戦った。同会場は、田口が中学校を卒業するおよそ半年前から、2週間に一度開かれていたボクシング教室に通った場所だ。
後楽園ホールでのデビュー戦では、47人の友人や知人が3000円のチケットを買ってくれた。世界戦のリングに上がるようになると、何千倍もの人々が会場から声援を送ってくれるようになった。
ラストマッチとなった2019年3月16日はWBOフライ級タイトルを保持していた田中恒成に挑み、判定負け。田口は「もう体が動かない」ところまで、戦い抜いた。
「ボクシングをやって本当に良かったと思っています。22~23歳の頃でしたか、毎月発表される日本ランキングで9位とか、10位くらいを行ったり来たりしていて、自分の成長を感じられなかったんです。ちょうど同じ時期にお世話になったトレーナーがジムを去り、止めようかと悩んだこともあります。2009年くらいですね。同級生が大学を卒業して安定した職に就いているのに、自分は不安定だなとも感じて、モチベーションが下がったんです。
でも、そういうものも乗り越えて、自分は世界王座に就けました。繰り返しになりますが、世界チャンピオンになれたのは、井上戦があったからです。今後もボクシングとは、ずっと付き合っていきます。今、ボクシングを教えることが心の底から楽しいんですよ」
井上尚弥との戦いは、その後の田口の人生を、より鮮やかなものとした。田口も今回のノニト・ドネア戦を楽しみに観戦すると言った。笑顔が爽やかだった。
<前編から続く>