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“スーパー高校生”井上尚弥の衝撃… 国内トップクラスのプロを“ボコボコ”に「そのときですね、尚弥はかなりのところまでいくんじゃないかと」
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byAFLO SPORT
posted2022/06/06 11:01
「美ら島沖縄総体2010」に出場した高校2年生の井上尚弥。高校生史上初の「アマ7冠」を達成し、2012年に鳴り物入りでプロデビューした
そのころ、井上父子は帝拳ジムや大橋ジム、白井・具志堅スポーツジムといった名だたるジムに出向いて腕を磨いていた。中でも横浜の大橋ジムには足しげく通い、当時日本チャンピオンだった八重樫東にマスボクシングの相手をしてもらっていた。
林田戦を境に「鬼になろう」と決意した真吾は、井上に八重樫とのスパーリングを命じる。それまでは「まだ早い」と感じていたが、林田に勝つためには、格上の日本王者とのスパーが必要だと決断したのである。
八重樫とスパーリングを重ね、その都度課題を見つけ出しては克服する作業を繰り返した。井上は八重経と拳を交えるたび、その差が少しずつ詰まっていることを感じていた。
国内トップクラスのプロが「ボコボコにされちゃった」
白井・具志堅スポーツジムに拠点を移していた中村も、このころの井上の成長に驚かされた一人だ。中村が当時手がけていた金田淳一朗という国内トップクラスのプロボクサーとスパーリングをさせたときのことだった。
「金田とは何度もスパーをしていたんですけど、あるとき井上の親父が『すいません、(金田のグローブを)16オンスじゃなくて14オンスにしてくれませんか』と頼んできた。自信があったんでしょう。そうしたら金田がボコボコにされちゃった。そのときですね、尚弥はかなりのところまでいくんじゃないかと思ったのは」
井上は翌年の国際大会選考会で林田と再戦し、リベンジを果たした。「勝ったあとは少し気が抜けました。やりきった感があった」という本人の言葉は、当時の井上にとって林田という存在がいかに大きかったかを物語る。続く全日本選手権でも林田を下し、初の全日本王者に輝いた。
挫折になり得た敗戦をもう一つ姿げるなら、ロンドン五輪予選を兼ねたアジア選手権の決勝だろう。アジア1枠をめぐる争いに敗れ、オリンピック出場という夢を叶えることはできなかったのだ。だが意外にも、後ろ向きな気持ちはなかったという。