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イ・サンファの告白…平昌までの4年は「しっかり眠れた日がありませんでした」五輪連覇のレジェンドが語る、“表情が明るくなった”結婚後の今 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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posted2022/06/03 17:05

イ・サンファの告白…平昌までの4年は「しっかり眠れた日がありませんでした」五輪連覇のレジェンドが語る、“表情が明るくなった”結婚後の今<Number Web> photograph by 事務所提供

スピードスケート女子500mの韓国代表として冬季五輪に4度出場し、金メダル2個、銀メダル1個を獲得した李相花さんに、引退に至るまでの葛藤や近況を聞いた

 李さんは毎日の練習で課される厳しいハードルに対し、意欲的に取り組んだ。

「毎日、男子グループの練習メニューをこなしていたので、女子グループの練習内容がウォーミングアップみたいに感じられてしまうほどでした。自分のためにも、ヨーロッパの選手たちに勝つためには、つらい練習をするしかないと考えました」

いまだ破られぬ世界記録「36秒36」

 こうしてたどり着いたのが16歳で出場した06年トリノ五輪であり、20歳で金メダルに輝いた10年バンクーバー五輪であり、24歳で連覇を果たした14年ソチ五輪だった。また、13年には1年間で4度も世界記録を更新した。李さんの前の世界記録は36秒94。13年1月にカルガリーで自身初の世界記録となる36秒80を出すと、13年11月にはソルトレークシティーで36秒36まで縮めた。この世界記録は10年近くたった今なお破られていない。

平昌までの4年は「しっかり眠れた日がありませんでした」

 たぐいまれなる実績を誇る李さんが、母国開催である18年平昌五輪に向けて韓国国民からどれほどの期待を寄せられていたかは想像に難くない。だからこそ、ソチ五輪を終えた後に発症した膝の故障はつらかった。苦しい日々の連続だった。

「ソチ五輪が終わってからの4年間は、しっかり眠れた日がありませんでした。次の五輪開催が私の国(韓国)じゃなければよかった、と思うこともありました。それでも、引退するよりは平昌五輪に出る方が光栄なことだと考えて続けたんです」

 負傷による苦しみがある中、計り知れない重圧や葛藤を抱えながら平昌五輪のリンクに立ち、見事に銀メダルを手にした李さん。レース後には「銀を獲って罪人になった気分がした」ともコメントしていたが、全力を振り絞っての滑走には、小平が掛けた「チャレッソ(よくやった、よく頑張った)」という言葉ほどふさわしいものはなかった。

北京五輪を見て芽生えた「新たな目標」

 引退から3年が過ぎた今、李さんの胸の中には新たな思いが芽生えてきている。

「選手として挑戦してきた頃の目標はなくなりましたが、(2月に)北京五輪に行って、スケート界の助けになれるかもしれないと思いました」

 そう語るように、韓国でコーチになるプランもあるという李さん。一時代を築いた女王の今後が楽しみだ。(前編よりつづく)

〈放送予定〉
NHK BS1 スポーツ×ヒューマン 6/6(月)21:00~
「あなたがいるから戦える〜小平奈緒×イ・サンファ〜」

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盟友・小平奈緒のレース中に放送席で…イ・サンファが明かす北京五輪“あの涙の理由”「ナオの姿には自分の姿も映って見えた」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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