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オリンピックPRESSBACK NUMBER
盟友・小平奈緒のレース中に放送席で…イ・サンファが明かす北京五輪“あの涙の理由”「ナオの姿には自分の姿も映って見えた」
posted2022/06/03 17:04
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
Mark Hoffman/USA TODAY Sports/Sipa USA/JIJI PRESS
10年バンクーバー五輪と14年ソチ五輪でこの種目を連覇した李さんは、小平と頂点を争った平昌五輪で銀メダル。涙に暮れる李さんの肩を、小平がそっと抱き寄せる姿は、五輪史上最も美しい場面のひとつとして今なお人々の記憶に刻まれている。
いまだ破られない36秒36の世界記録を保持したまま、19年に引退した李さんに、小平との関係やエピソードを聞いた。(全2回の1回目/後編へ)
第一印象「ナオは今と同じく、純粋で優しくて…」
李さんと小平が最初に出会ったのは、李さんが中学生の頃に行なわれていた日韓交流試合だった。そのときは言葉を交わすことはなかったが、「高校生になってシニアの試合に出るようになった時にナオから声をかけてくれました。ナオは今と同じく、純粋で優しくて、運動が得意そうな女の子という印象でした」と言う。
世界の舞台で先に頭角を現わしたのは小平より3歳下の李さんだった。李さんは15歳だった04-05シーズンからW杯に出場し、16歳で06年トリノ五輪に初出場。天才少女の名をほしいままにしていた。
「ナオは、私の方が良い順位だったときも『おめでとう』と声をかけてくれました。もしかしたら悔しい気持ちもあるかもしれないのに、称えてくれる。それがナオです」
時がたち、20歳でバンクーバー五輪金メダルに輝いた李さんは、「女帝」と呼ばれるようになった。特に13年は1年間に4度も世界記録を更新した。
14年ソチ五輪では実力を遺憾なく発揮し、2連覇を達成。ところが、その翌シーズンから、李さんはケガに悩まされるようになった。
小平のタクシーを手配…「話題になったのは少し意外」
そんな状況で迎えた14年11月、韓国ソウルで行なわれたW杯でのことだった。この試合で優勝したのは小平で、彼女にとって待望の初優勝。一方、李さんは母国開催のW杯で敗れるという悔しい結果に終わった。
表彰式が終わると、小平は飛行機に乗るために空港に移動する準備を始めた。この時、リンクから空港まで向かうタクシーを手配してくれたのが李さんだった。
小平は、「サンファはタクシーを呼んでくれただけでなく、空港までのタクシー代も出してくれたんです」と感謝していた。
その時のいきさつを尋ねると、李さんは微笑みながらこのように説明した。