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<60歳に>「ケンタサン、チョットPKオネガイネ」Jリーグ伝説の“クモ男守護神”シジマールが語る「日本人GK育成の秘訣」とは
posted2022/06/13 17:00
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph by
Asami Enomoto
1993年7月31日、試合を終えた“スパイダーマン”は、しょんぼりしていた。Jリーグデビュー戦を、2-1の逆転勝利で飾ったにもかかわらず、だ。
前半9分、サンフレッチェ広島のフォンデルブルグに先制ゴールを決められた。ブラジルからやって来た助っ人GKは、咄嗟に自軍のベンチを見た。予想どおり、テクニカルエリアに立つ“師匠”と目が合った。その視線が、こう語っていた。
「おい、シジマール。お前、点を取られるのか? それじゃ、他のGKと同じじゃないか!」
当時、清水エスパルスを率いていたのは、エメルソン・レオン。ブラジル代表の一員として4度のW杯を経験した名GKである。
「僕は'86年にサンパウロ州選抜のメンバーとして、レオンさんと一緒に来日しています。宿舎でも同じ部屋でした。彼がポルトゲーザの監督になったときは、僕を正GKに抜擢してくれました。だから、その性格、考えは手に取るように分かります。広島戦で失点したとき、目を見ただけでレオンさんが何を思っているのか、すぐに理解できたんです。あらためて、レオンさんの期待に応えるために、絶対にゴールを許さないんだと決意しました」
ブラジルに帰りたいという気持ちは分かる。ただ
レオンからは、プロとしての生き様も教わった。'93年秋、シジマールは交通事故によってブラジルに住んでいた弟と、その家族を亡くした。この訃報は、レオンの口から伝えられた。
「ブラジルに帰りたいという気持ちは分かる。ただ、今、君が帰っても、弟さんは戻ってこない。君の家族のことは、クラブとともに最大限サポートする。大事な試合がある。だから君は、ゴールを守れ」