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<60歳に>「ケンタサン、チョットPKオネガイネ」Jリーグ伝説の“クモ男守護神”シジマールが語る「日本人GK育成の秘訣」とは
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph byAsami Enomoto
posted2022/06/13 17:00
Jリーグ創成期に名守護神として大活躍したシジマール
あの事故で、私はプロ選手とはどうあるべきかを学んだ気が
その日もシジマールはゴール前に立った。
「レオンさんは事故について言葉を飾らず、包み隠さず話してくれました。あの事故で、私はプロ選手とはどうあるべきかを学んだ気がします。もちろん悲しかったし、家族のことが心配だった。でも、プロとはその気持ちをグラウンドの外に置いておかなければならない。練習の前に泣いていたとしても、グラウンドに入ったら、いつもと変わらず笑顔で、元気に声を出してチームにポジティブな空気を生み出す。特にGKは、たとえ腕章を巻いていなくても、チームをまとめるキャプテンですから」
レオン率いるチームとシジマールは快進撃を続け、11月6日の広島戦まで、驚異の9連勝を飾った。当時のJリーグに、引き分けはない。8月28日のヴェルディ川崎戦で、シジマールは来日後初めてのPK戦を経験した。ヴェルディの5人目、石川康のキックをストップし、清水の勝利が決まったかに思えた。ところが菊池光悦主審は、シジマールが先に動いたとして、キックのやり直しを命じた。
「もう一度、止めてやる」
シジマールは自身の胸を指差し、センターサークルで見守る仲間たちに宣言した。
あの“クモ男”ポーズが生まれたワケ
「正直に言えば、次も止められるかどうか、自分でもわかりませんでした。でも、チームメイトに安心感を与え、ポジティブなエネルギーを生むことが大切ですから」
再び石川がペナルティースポットにボールをセットする。ここで、シジマールが動く。両手を大きく広げてから胸の前で叩く“クモ男”ポーズ発動。キックの瞬間、鋭く右側に飛んでブロックした。
「ブラジルでプレーしていた頃は、あのポーズをやったことがないんです。当時のヴェルディは、日本代表選手ばかりです。そんな相手に、『俺がなんとかしよう』と思って出たのが、あの“クモ男”ポーズでした。当時のルールでは、PKのとき、GKは足を動かしてはいけなかった。でも、上半身は動かしても構わない。ならば腕を動かして、相手の集中力を途切れさせようと。ヴェルディに勝つためには、ずる賢さも必要でしたからね」