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《25年前のダービー》「(皐月賞は)フロックだと言われましたが、正直、ぼくもそうかな、と」大西直宏の騎手人生を変えた“18番”のサニーブライアン 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byHisae Imai

posted2022/05/26 06:00

《25年前のダービー》「(皐月賞は)フロックだと言われましたが、正直、ぼくもそうかな、と」大西直宏の騎手人生を変えた“18番”のサニーブライアン<Number Web> photograph by Hisae Imai

1997年日本ダービーを制したサニーブライアンと大西直宏

 その前日の金曜日、彼はまた枠順抽選会でガラガラを回し、18番を引いていた。

「あのなかに入っている玉は全部18番だという感覚で回しました。その前、NHKマイルCの抽選会でも『ぼくの馬は18番ですよ』と言ったらそうなったんです」

 追い風に背を押されるのを感じながら考えたのは、皐月賞と同じ競馬をしよう、ということだった。とにかく、逃げてスローに落とし、同じリズムで走ろう、と。

 ダービー当日、パドックで跨り、1周したときは膝がガクガク震えた。それでもサニーブライアンは動じることなく、いつもと同じ静かな常歩で馬場入りした。

 ゲートがあいた。速いスタートを切ったサニーブライアンは、徐々に内に切れ込み、ハナに立った。一瞬馬体を併せたサイレンススズカは競りかけてこなかった。理想的なラップを刻みながら、1、2コーナーを回り、向正面へ。単騎で逃げて折り合い、脚を溜めながら直線に入った。

「追い出したとき、グワーンと加速したので、これはいけると思いました。皐月賞のときとはぜんぜん違いました」

 そのまま他馬に並びかけられることもなく、2着に1馬身差をつけ、2分25秒9で優勝。その時点で歴代4位の好タイムで、64代目のダービー馬となった。

「ゴール後の記憶がないんです」

「ゴールした瞬間、目の前が真っ白になり、そのあとの記憶がないんです。気がついたら、馬を止めて、撫でていた。安堵感に浸っていると、横山典弘君が横に来て『派手にやってきなよ』とウイニングランに送り出してくれたんです。嶋田功さんがダービーを勝った日の夜、ひとりで和室に布団を敷いて寝たという話が印象に残っていたので、その夜、ぼくも実行しました(笑)」

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大西直宏
サニーブライアン

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