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「小室さんが求めることを察知できたのも、あの3年間があったから」DJ KOO(60)が語る“昭和のラグビー部”秘話…内田裕也が松尾雄治との縁をつないだ?
text by
占部哲也(東京中日スポーツ)Tetsuya Urabe
photograph byDJ KOO
posted2022/05/27 11:02
埼玉ワイルドナイツのホームゲーム全試合をDJプレイで盛り上げたDJ KOO。高校時代はラグビー部に所属し、熱い青春時代を過ごした
時代は校内暴力の嵐が吹き荒れる直前。KOOは苦笑して言う。「リーゼントとかオールバックにして常に臨戦態勢にしていないといけない雰囲気だった」。しかし、それ以上に昭和を象徴する体育会の“掟”の方が生命力を試された。
「電車に乗っていると先輩に『おまえ、きょうは寝台車で帰れ』と言われた。『?』と思ったら、荷物を置く網棚の上で寝て帰れと……。不良が座っていると『あそこいってブランコしてこい』って。目の前のつり革につかまって『ぶらーん、ぶらーん、ぶらーん』として、そこでケンカ勃発! でも、不良よりも先輩のしごきの方が怖かった」
上下関係の厳しかった時代。県ベスト8進出も難しいラグビー部だったが、不条理が日常だった。でも、明るい声で「あの3年間があったから今の人格ができている」と言い切る。生来の陽気さか、発する言葉に陰はない。
縦社会のDJ界でも生かされた3年間
高校卒業後は音楽の道を選び、専門学校に通いながら新宿のDJに弟子入りした。
「当時、歌舞伎町のDJも縦社会だった。完全な徒弟制度。先輩が『ラーメン買って来い』と言う時、ラグビー部時代の修業が生かされた。ほかのどの見習いよりも、一番早く、一番おいしいラーメンを買ってこられた。それで気に入られてたくさん学んだ。TRFで小室さんに弟子入りした時も同じ。小室さんが求めることを察知してすぐにどんどんやっていけた。それは間違いなくあの3年間があったから」
柔軟に、即座に反応して“トライ”する。還暦を迎えてもゲーム、アイドルの世界に足を踏み入れ、コラボしている。幅広い世代から認知され、愛される。スタジアムでは「子どもは自分をゆるキャラだと思っているのか……楽しく近寄ってくれますね」と白い歯を見せる。DJ KOOの根底には泥くさいラグビーの「血」が脈々と流れているという。
現役時代は司令塔のスタンドオフ(SO)だった。「DJと同じですね」と投げかけると相好を崩した。
「いいこと言いますね~。自分は全体を見渡すポジションが好きみたいですね。本当はギターヒーローになりたかった。だけど、高校を卒業してディスコに初めて行った時、不良とか、きれいなお姉さんがいっぱいいる中で、自分のスタイルを持ってフロアを操るDJがすごく格好良く見えた。それで見習いをしようって思った」