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『ウマ娘』は98年「幻の日本ダービー」をどう描いたか? 競馬ファンが夢見たスペシャルウィークvsエルコンドルパサーは“衝撃の結末”に
posted2022/05/27 11:01
text by
屋城敦Atsushi Yashiro
photograph by
Cygames, Inc./BUNGEISHUNJU
“最強世代論争”は、スポーツファンには欠かせない愉しみである。
お互いの知識の広さや好みなどを披露し合い、時には批評したりしながら、自身の“愛”の深さを再確認できるからだ。
近代の日本競馬においては、最強の“黄金世代”として1995年生まれの優駿たちの名が挙げられることが多い。国内はもちろん、海外でもその力を示し新たな時代を切り拓いた世代だからであろう。しかしこの世代の最強馬決定戦である'98年日本ダービーは、違った意味で注目を集めてしまうこととなる。外国産馬問題である。
「もし、グラスワンダーやエルコンドルパサーがいたら…」
当時は海外で生まれた競走馬には厳しい出走制限が設けられており、クラシック競走(皐月賞、日本ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス)や天皇賞などには出走できなかった。2001年から段階的に緩和されていくのだが、4戦4勝の3歳チャンピオン(馬齢表記は当時のもの)グラスワンダーや、5戦5勝でNHKマイルカップを制したエルコンドルパサーらは参戦すら許されなかったのだ。
果たしてそんなレースを最強馬決定戦と呼んでもいいのか。勝利したスペシャルウィークは、その後も“日本の総大将”としてジャパンカップを制するなど目覚ましい活躍をしていくことになるのだが、「もしこの時、グラスワンダーやエルコンドルパサーが参戦できていたら……」という空想は、永遠に議論され続けるテーマにもなった。
『ウマ娘』が描いた“幻の'98年日本ダービー”
それから20年以上の月日が経ち、競馬界に新しい風が吹く。ゲーム、アニメ、コミックなどさまざまなメディアで展開するコンテンツ『ウマ娘 プリティーダービー』(以下、『ウマ娘』)の登場である。競走馬を擬人化(美少女化)し、スポ根風の物語を展開してその“軽さ”で競馬を知らない層を取り込み、そのベースにある、史実を徹底的に落とし込んだ設定の“深さ”で沼にハマらせてしまうという、これまでになかった切り口でヒットを続けている。
そして『ウマ娘』では、ファンが待ち望んでいた、グラスワンダー、エルコンドルパサーが参戦した「幻の'98年日本ダービー」を独自の視点で描いている。ゲームではプレイするウマ娘ごとに異なる視点で、またテレビアニメではさらに異なるシナリオで。多くのファンを熱くさせた“もうひとつのダービー”を確認していこう。