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アンドレ・ザ・ジャイアントから“世界で初めてギブアップを奪った男”は猪木だった…ホーガン、ハンセンら選手たちが語った“大巨人の素顔”
posted2022/05/24 11:05
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
アメリカ時間の5月19日、世界最大のプロレス団体WWEのビンス・マクマホン会長が約5カ月ぶりにツイッターを更新したことが話題となった。その内容は「人生最高のアスリートであり特別な友人、他に比類なきアンドレ・ザ・ジャイアント76歳の誕生日です」というもの。
この日は、身長223cm、体重250kgの巨体を誇った歴史に残る名レスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントの(生きていれば)76回目の誕生日だったのだ。
アンドレは「大巨人」「人間山脈」「一人民族大移動」「現代のガリバー旅行記」など、プロレス中継の“過激なアナウンサー”だった古舘伊知郎による数々の名フレーズで形容され日本でも大活躍したが、それだけにとどまらず、70~80年代に世界で最も活躍したプロレスラーのひとりだった。
単なる“怪物レスラー”ではなかった素顔
アンドレ・ザ・ジャイアントこと本名アンドレ・レネ・ロシモフは、1964年に故郷フランスでデビューした後、モンスター・ロシモフのリングネームで、70年に国際プロレスへ初来日。この時、ツアーで一緒になったエドワード・カーペンティアの招きでカナダに転戦し、73年にニューヨークを本拠地とするWWWF(現在のWWE)と契約。ここでアンドレ・ザ・ジャイアントと改名し、たちまち全米ナンバーワンの売れっ子レスラーとなる。その人気は「年収世界一のプロレスラー」として74年にギネスブックにも掲載されるほどであり、その額を単純計算すると、同年の王貞治、長嶋茂雄の推定年俸を足した額を遥かに上回った。
日本のファンにとって印象深いのは、なんと言っても74年の新日本プロレス参戦以降のアンドレだろう。その大きさと強さは、絶対的なエースであるアントニオ猪木ですら完璧な3カウント勝利を奪うことはできず、ましてや猪木以外のレスラーでは試合にならないため、アンドレvs日本人レスラー3人などというハンディキャップマッチもよく組まれた。
アンドレはリングを降りてからも笑顔は見せず、ファンを一切寄せ付けなかったため、当時の日本のファンにとっては人間ではない怪物というイメージだけだった。しかし、素顔のアンドレは世界一の売れっ子でありながら誰にでもやさしく聡明なジェントルマンだったと多くのレスラーが語る。
またリング上のアンドレも単なる怪物レスラーではなく、超一流の技術を持ったレスラーだったと皆、口を揃える。一流レスラーとは、観客を手のひらに乗せられる人間とよく言われるが、まさにアンドレはその能力がズバ抜けていた。