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「スカウトと毎晩ご飯を」「お客が来るのは巨人戦くらい、でも新庄・亀山人気で…」野田浩司が明かす“昭和ドラフト→暗黒阪神ここだけの話” 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2022/05/15 17:00

「スカウトと毎晩ご飯を」「お客が来るのは巨人戦くらい、でも新庄・亀山人気で…」野田浩司が明かす“昭和ドラフト→暗黒阪神ここだけの話”<Number Web> photograph by Kou Hiroo

阪神とオリックスに在籍した野田浩司氏に当時の話を聞いた

「11球団のスカウトの方が来ていたんですが、僕はプロを志望する気持ちは全くなくて。自信がなかったんです。高校の監督からは主に精神論を教えてもらいましたが、甲子園にも出ていないし、田舎で実績もなかったですから。

 そこでスカウトにはお断りをして、地元熊本の九州産交バス株式会社に就職し、野球を続けることにしたんです。大学という選択肢も考えなかった。当時の熊本は子供もたくさん生まれましたし、高校を出たら7、8割は就職したんですね」

“ドラフトの対象になるで”と急に声がかかりだした

 九州産交では、野球部に所属したが、サラリーマンとしての仕事も経験した。「バスの運転手の管理とか、勤務状況を管理するためにバスに内緒で乗って、マニュアル通りに運転しているかどうかチェックしたり。体がでかいのですぐに目立つんだけど」と笑顔を交えて振り返る野田だが、九州産交野球部は都市対抗、日本選手権にそれぞれ6回出場したことがある九州の強豪社会人チームだった。ここでも野田浩司は投手として引き続き注目を集めた。

「九州産交に入っても引き続きスカウトが来てくれましたが、高校から社会人に進んだ選手は3年経たないとドラフトで指名されない規定があります。僕はたまたま2年目に調子がすごく悪くて、スカウトの方も見向きもしなかった。“来年だな”という感じでしたが、その2年目に突然、野球部の廃部が決まったんですね。仕方なく、福岡県苅田町にある日産九州に移ることにしたんです。

 ところが廃部が決まってから出場した最後の日本選手権の予選で、調子が急に上向いたんです。たまたま投球練習しているときに、先輩から膝の使い方について声をかけてもらって、それではっと気が付いてフォームを修正したら、突然よくなった。3連続完投をして三振も17個くらい奪った。準決勝で負けて代表にはなれなかったんですが、そのときあるスカウトが野球協約を調べてみたら、『野田はドラフトの対象になるで』ということがわかって、急に声がかかりだしたんです」

当時はスカウトの方に毎晩ご飯を食べに……

 野田が回想したこの部分について、野球協約の「新人選手選択会議規約」にはこうある。日本野球連盟とは社会人野球を統括する団体である。

〈第3条(日本野球連盟の選手) 日本野球連盟に所属する選手に対しては、同連盟と日本プロフェッショナル野球組織との間の協定に基づき、次の通り取り扱う。(1)球団は、日本野球連盟所属選手が同連盟に登録後2年(シーズン)間はその選手と選手契約を締結しない。ただし、高校卒業の選手ならびに中学卒業の選手については、その選手が同連盟に登録後3年(シーズン)間は選手契約を締結しない。(中略)ただし、同連盟所属チームの解散又は休部による場合は、この限りではない。〉

「それで入社を決めていた日産九州にお断りをして。もうめちゃくちゃ怒られました(笑)。そこからドラフトまでたぶん2、3週間しかないんですが、スカウトの方に毎晩ご飯を食べに連れて行ってもらいました。当時はそれを規制するルールがなかったんですね。

 各球団のスカウトと会う度に、うちは4位、うちは3位、うちは2位って順位が上がっていって、最後は外れ1位ぐらいになってきてね」

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