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「プツンとキレて、席を立ち去りました」マイク仲田(57)が明かす“阪神からFA移籍”の真相…掛布雅之は「マイク、大人になれ」
posted2022/04/21 11:01
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
Makoto Kenmizaki
1992年、直近5年で最下位4回の阪神タイガースはまさかの快進撃を見せる。“万年エース候補”だった9年目の仲田はフォームを改造し、2種類の変化球を覚え、14勝(13完投)で奪三振王のタイトルを獲得。阪神待望の大黒柱が誕生した。しかし、完全に開花したはずのマイクの成績は翌年以降、あっという間に萎んでいった。
なぜ、覚醒はたった1年で終わったのか。ロッテFA移籍の真相、広岡達朗の試合前300球投げ込み指令、二軍生活で感じた指揮官の人情……仲田幸司の心の機微に触れる。(全3回の2回目/#1、#3へ)。※敬称略、名前や名称は当時
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92年はバラ色のオフになるはずだった。
シーズン終盤の9月19日、首位・阪神は2位・ヤクルトに3ゲーム差を付ける。八木裕のサヨナラホームランの判定が覆って引き分けに終わった翌日から5連勝し、優勝が目前に迫ってきた。13試合に渡る長期遠征に出る前、中村勝広監督は「大きなお土産を持って帰りたい」と実質的なV宣言をした。
「よく八木の幻の一発が分岐点だったと言われますけど、あんまり関係ないと思いますよ。逆に、選手たちは発奮して連勝したわけですから。それより、ロードで勝てなかったことですよ。僕らも優勝できるもんやと思っていましたからね。遠征先には『祝優勝』のラベルが貼られた祝勝会用のビールがあったし、同じ言葉が記されたタオルも置いてあった。今思えば、もっとしっかり地に足を着けて戦わないといけなかった」
92年、惜しくもV逸「悔しくて未だに思い出します」
今でも忘れられない1球がある。10月6日、首位・阪神は1ゲーム差で追う2位・ヤクルトと神宮球場で直接対決した。仲田と岡林洋一の両エースは一歩も譲らず、ゼロ行進が続く。7回裏、仲田は先頭のハウエルから10個目の三振を奪い、広沢克己を迎えた。前年まで苦手にしていたが、新たに覚えた外に逃げるスクリューが効いて、この年は8打数ノーヒット5三振と手玉に取っていた。2ストライク1ボールと追い込むと、捕手の山田勝彦は決め球にスクリューを要求した。
「最終的な勝負球は一致していました。でも、まだ2球の余裕があるから首を振った。1球インコースで体を起こそうと大事に行ったら、ボール2つ分甘く入ってバックスクリーンに打たれた。悔しくて未だに思い出します」