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フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
《独占インタビュー》宮原知子24歳が涙ながらに語った、“ミス・パーフェクト”の葛藤と引退の真実「ノーミスばかりを目指していた」
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byAsami Enomoto
posted2022/04/23 17:00
3月26日に競技引退を発表した宮原知子。自身のスケート人生を振り返って思うこととは…
「正直に言うと、ノーミスばかりを目指していた」
宮原知子といえば、濱田美栄コーチに「彼女ほど練習する選手は見たことがない」と言わしめたほどの努力家で知られている。
両方の方向に回転するスピンやレイバックスピンの姿勢の美しさなど、見せるものをたくさん持っていた。本番では安定した演技を繰り返し、「ミス・パーフェクト」という最高のニックネームももらった。自分の競技人生を改めて振り返ってみて、どのように感じているのか。
「試合のためにやらなければいけないこととか……スケートをよくするために、本当に生活を全部、スケートに捧げていたかなあと思います」
宮原はゆっくり言葉を選んでそう言うと、ちょっと感極まったように目元を潤ませて言葉を切った。
「とにかく試合では、もう正直に言うとノーミスばかりを目指していた。自分の中では良くなかったと思うジャンプもあって、結構完璧を求めていたかもしれないんですけど、それをするために練習、試合一回一回の曲かけを大事にするということは心の中で決めてやっていました」
特に思い出に残っている大会は、と聞くと、こう答えた。
「平昌オリンピックは一番楽しかったと思うんですけど、初めてのシニアGPに出た時は『シニアってこういう感じなんだ……』と、ジュニアにはないきらびやかさを感じました」
追い求めた多面的な完成度の高さ
ジャンプの強化のために長野五輪チャンピオンのイリヤ・クーリックに指導を仰ぎ、音楽表現ではステファン・ランビエル、そして英国ロイヤルバレエのプリンシパルダンサーだった吉田都にも指導を受けた。彼女ほど的確な人選をして、良い意味で貪欲に、多面的に強化していった選手は他にいないのではないだろうか。
「色んな所に行きたいという気持ちがあって、チャレンジしていった。そういう機会をくださった濱田先生、そこで出会った方々から関係性が広がっていって世界のスケーターたちとつながることができた。そういう環境に巡り合えた自分はラッキーだと思っています」