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「嫌々で飛込をやっていた自分がコンプレックスだった」馬淵優佳27歳の告白〈感情を殺した現役時代の記憶と後悔〉
text by
田坂友暁Tomoaki Tasaka
photograph byYuki Suenaga
posted2022/03/28 11:00
昨年末、4年ぶりの電撃復帰を発表した馬淵優佳(27歳)。なぜ“今”、現役復帰を選んだのか
「今でも不安になることはあります。でもこの、“今だ”と思ったタイミングを逃したら絶対に後悔すると思ったんです。自分が今だ、と思った気持ちに反して、やっぱりブランクもあるし母親だし、といろいろ理由をつけて諦めたら、絶対この先の人生で、挑戦しなかったことへの後悔が大きくなる。だったら、とりあえずやってみようって思えたんです」
せっかく、自分がもう一度やってみたい、と飛込競技に向き合えたこの瞬間を馬淵は大切にしたかった。あれほど大嫌いで、もう二度とやりたくないとまで思った飛込競技だったから――。
「どうせ飛込しかできない」“好き”を殺していた現役時代
馬淵は6歳から飛込競技を始めた。父親は寺内健(ミキハウス)をはじめとする日本代表選手を何人も送り出している馬淵崇英コーチだったため、飛込競技を始めるのは必然でもあった。ただ、やることが当たり前すぎて、自分の意志で始めたわけではなかったのである。
嫌々やっていた練習、やりたくなかった試合。それなのに、気持ちと裏腹に競技力は上がっていく。いつしか、諦めもあって“好き”という感情を押し殺すようになってしまった。
「ダンスとかテニスとかもやりたいな、って思った時期もあったんです。でも、どうせ飛込をやらないといけないから、絶対にほかのスポーツはやれなかった。だったら、好きっていう感情って邪魔じゃないですか」
どうせ飛込しかできない。そういう諦めの気持ちから、どんどん競技に対して、スポーツに対して、物事に対して感情がなくなっていく。
「じゃあ、もう好きっていう感情なんて、いらないよねって」
「嫌々やっていた自分がコンプレックスになっていた」
振り返れば、馬淵が試合会場で笑顔を見せていたのは、試合前後の友達と話しているときくらいだった。JSS宝塚の後輩の板橋美波や荒井祭里のように、演技がうまくいけば笑顔を弾けさせ、失敗すれば涙を流すほど悔しがるようなそぶりは、一切なかった。
それが苦しかった。周りは楽しく競技をやっていて、自分の演技に一喜一憂している。なのに、自分はなんでこんなに飛込が嫌いなんだろう、と。