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「あの瞬間、ベイダーはモンスターになったんだ」猪木を3分で倒した“最強外国人レスラー”衝撃デビューの真相《WWE殿堂入り》
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2022/03/12 11:01
1987年、TPGの刺客として登場し、アントニオ猪木から3分足らずでピンフォール勝ちを収めたビッグバン・ベイダー
ハンセンの指が右目に…「わざとに決まってるじゃないか」
実際、その後TPGから独り立ちしたベイダーは、あっという間に大化け。IWGPヘビー級王者にもなり、押しも押されもせぬトップ外国人レスラーの座に君臨した。そして、その評価を確固たるものとした試合が、1990年2月10日に東京ドームで行われた『スーパーファイトin 闘強導夢』でのスタン・ハンセンとの一戦だ。
プロレス界にとって2度目の東京ドーム開催となったこの大会は、史上初めて全日本プロレスの選手が新日本のリングに上がり対抗戦を行った歴史的な舞台でもあった。ここでベイダーはIWGPヘビー級王者として全日本の絶対的なトップ外国人であるハンセンを迎え撃ち、伝説の「アンドレ・ザ・ジャイアントvsハンセン(1981年9月23日、田園コロシアム)」の再現とも言われたド迫力の闘いを展開。結果は両者リングアウトだったものの内容的には体格で勝るベイダーがやや優勢であったこともあり、「ベイダー強し」を強烈に印象づけるとともに、デビュー時は拒絶された新日本ファンから絶大な信頼を得る結果にもなったのである。
またこの試合の壮絶さを際立たせたのは、試合序盤にベイダーの右目が完全に塞がり大きく腫れ上がったこと。後年、ハンセンはこの件について「私は目が悪いから、間違えてエルボーかナックルが彼の目に入ってしまった」と語っていたが、ベイダーの見解は違う。
「日本では故意じゃなかったと信じられてるのかい? あれはスタンがわざとサミングをしてきたに決まってるじゃないか。まあ、あのとき彼は私より10歳ぐらい年上(実際は7歳年上)で、体力的には少し下り坂に入ってきていた。また、私は体重が200kg近くあったから、体重差も60kg以上はあっただろう。そんなデカくて若い私がガンガン攻めていったので、彼がやり返すには、あれしかなかったんだろうな、と今は理解しているよ。
目が腫れるだけならなんてことないんだが、試合後検査をしたら目の周りの骨が複雑骨折みたいになっていてね。今でも、この鼻の上の部分にスチールが入っているんだよ。目の周りの骨が折れたことで鼻のほうにも影響してしまったんだ」