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星野や落合と何が違う? 周囲が驚いた監督・立浪和義の「経営者のような視点」とは…茶髪とヒゲNGも「時代が違うのはわかっている」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byYoshiyuki Hata
posted2022/03/25 06:02
「強竜復活」を託され12年ぶりに中日ドラゴンズのユニフォームに袖を通した立浪和義監督(52歳)
――現役を引退してから監督になるまで12年かかりました。この時間というのはご自身にどんな影響を与えましたか。
「干支ひとまわりですからね(笑)。この12年間は野球を見ながらも、球界以外の人と接する機会も多かったんです。とくに経営者の方と話していると、野球の監督と共通するところがあるなと感じていました。結局、人をどう使うかというのが自分の仕事なので、そのへんは多少なりとも勉強させてもらって、大人にはなっているのかなと(笑)。もし現役終わってすぐに監督になっていれば、また違った考え方になっていたかもしれないです」
――どんな野球をするつもりですか。
「今年、ドラゴンズは打てないと、そこばかり指摘されてきたんですけど、このチームはまず投手をしっかりと整備しないといけない。今年投手陣が良かったから来年も良いという保証はない。故障もある。まずは点を取られないことです」
――これまで4人の監督の下でプレーしました。怒りに愛を込める人、静かに諭す人、遠くで見つめている人、色々なタイプの指揮官がいたと思いますが、監督として選手との距離感はどのように考えていますか。
「今は極力、全員の選手と会話するように気をつけているんです。指導するためには技術レベルもそうですけど、性格を把握していかないといけないので。ただし、来年の春になったら競争ですから、そうはならない。だから、この秋に技術的な課題を把握して、オフにそれを考えて自分でやらないといけない。そのためには観察しているだけではなく、手助けしてあげないといけない選手もたくさんいる。ここは指導した方が良いというのがわかっていれば、口を出さずにはいられない。時間がもったいないんです。秋のキャンプは24日間しかないんで。だから本当に差がつくのはこのオフだよと、選手には言っています」
選手との対話術、競争主義、本拠地ナゴヤドームの特性をいかした守りの野球……。受け取る側の意識によっては、言葉の端々に星野仙一も落合博満も顔をのぞかせる。だが、すべてを繋いでいくと、そのどちらでもないという意志が伝わってくる。
選手がヘッドスライディングしたら?
そんな立浪に、最後に訊きたいことがあった。1994年10月8日、リーグ優勝をかけた巨人との最終決戦、立浪はビハインドの8回、サードに放った打球で一塁へヘッドスライディングした。その結果、肩を脱臼し、負傷退場したが、敗れた中日ファンの脳裏に刻まれたのはその姿だった。
――もし選手が、あの「10・8」の立浪さんのように、ヘッドスライディングをしたら、どう感じますか。
「あれは自分も咄嗟にヘッドスライディングをして、怪我してしまったんですけど……。確かにファンの方はああいうプレーに闘志を感じる方も多いと思うんですけど、それで怪我してしまうとチームに大きなマイナスになる。基本は控えながらやらないといけない。ちょっとそこは選手に気をつけさせないといけないです」
そこまで言うと立浪は「練習を見ないとあかんので」と言って席を立った。新監督は再びバットを手にして、選手と選手の間に分け入っていった。立浪を起点に人と人が繋がり、会話が生まれる。グラウンド全体にピンと芯が通ったようだった。
そこに星野仙一の面影も、落合博満の幻影もなかった。立浪は一塁ベースへ突っ込んだあの日の青年のままでも、ミスタードラゴンズと呼ばれたチームリーダーのままでもなかった。古くも新しくもなかった。年輪を重ね、熱さも冷たさも内包した52歳の立浪和義だった。
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