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プロ野球PRESSBACK NUMBER
プロになるために中学受験も…間宮祥太朗28歳が明かす「自分はプロ野球選手にはなれない」と悟った“中2の記憶”
posted2022/03/12 11:02
text by
谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph by
Miki Fukano
実は野球少年だった間宮。プロ選手を目指していた野球部時代の話、その夢の限界を知った日、そして俳優として歩む現在について語ってもらった(全2回の1回目/後編へ)。
――間宮さんが阪神ファンだと伺ったので、過去のタイガース特集号を持ってきました!
間宮 うわ、ありがとうございます! この表紙とかもヤバいですね(笑)。そもそもこれを読んでいた時は、まさか自分が取材してもらう側になるとは思ってもみませんでした。
プロになるために付属校を受験した
――学生時代は、プロ選手を目指す野球少年だったと聞いています。
間宮 そうですね。中学受験のときも、甲子園で活躍してプロに行く確率より、大学を経由したほうが(プロに)行ける可能性があると思って付属校を選んだぐらいでしたから。「将来の夢はプロ野球選手」は、何度も言ってきました。
――小学生の時にそこまで考えて自分の進路を決めるってすごいですね……。練習も厳しかったんじゃないですか?
間宮 入部した当初は同期が30人ほどいたんですけど、あまりに厳しくて一気に半分ぐらいに減ってしまって(笑)。でも、自分の場合は1年生の頃から試合に使ってもらっていたので順調でした。(最初から試合に出ていたのは)同学年では3人だけでしたし。
ライバルを見ながら「野球への情熱がもっと強ければ…」
――ということは、将来のエース候補だったんですね。
間宮 いやいや(笑)! 当時の自分は少し不真面目なところもあり、あまり自主練をやらなかったんです。部活の時間は楽しくても、ひとりの中学生でもあるわけなので、練習が終わった後は学食でダラダラしたり、遊びに行ったり……。
――当時、ライバルのような選手はいましたか?
間宮 同級生に同じピッチャーですごい選手がいたんです。彼は真面目な性格で、“起きたらすぐトレーニング”みたいな子。もちろん学校には遅刻しないし、宿題もいつも終わっていて、成績がいいから補習に呼ばれることなんてない。自分とはタイプが違いました。でもそういう選手ほど意識するじゃないですか。そうして彼のことをずっと見ているうちに、本当に野球に対する情熱が強ければ、もっと彼と同じような生活を送っているはずだと考えるようになったんです。
――学食で無駄話をしている時間はないはずだと。