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井岡一翔32歳のトレーナーが明かした壮絶な過去…なぜ“亡命”を選んだのか?「2、3カ月で収入わずか100ドル」「パスポートは没収された」 

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林壮一

林壮一Soichi Hayashi Sr.

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posted2022/03/18 11:01

井岡一翔32歳のトレーナーが明かした壮絶な過去…なぜ“亡命”を選んだのか?「2、3カ月で収入わずか100ドル」「パスポートは没収された」<Number Web> photograph by AFLO

写真は2011年2月11日、WBC世界ミニマム級タイトルマッチ。プロ7戦目で世界王者になった井岡一翔とトレーナーのイスマエル・サラス

「1989年に政府の命令により、パキスタンでボクシングを教えることとなり、キューバを離れました。AIBA(アマチュア国際ボクシング協会)を経由して出されたパキスタンの要請に、キューバが応えることになったんです。バルセロナ五輪に向けた強化が目的でした。その他にも北朝鮮、中国、フィリピンで指導しましたよ。全て、キューバ政府からの指令を受けてです。でも、2~3カ月の労働で100ドルほどのサラリーしか得られませんでした。

 私には、いつかプロの世界で選手を育成したいという夢があったんです。キューバにはアマチュアしか無いでしょう。ですからバルセロナ五輪終了後、私はタイでプロの選手との仕事を始めました。キューバにパスポートを没収され、不法滞在しながらの生活でした。自分が抱える選手が世界ランカーとなり、日本やアメリカで試合をする時にもタイを出られない。タイ政府が、キューバ政府に解決策を打診したこともあります。しかし、『あなた方がサラスと仕事をしているのなら、こちらは何の手助けも出来ませんね』という返事でした。

 1994年に国際連合がそういった私の状態を知ることとなり、人権問題としてキューバ政府に意見書を提出し、ようやくキューバのパスポートが再発行されました。この直前まで、私には国籍が無いも同然でした。92年から95年までパスポートを持てない暮らしでしたから」

 茨の道を進みながらも、サラスはプロのボクシングトレーナーとして生きていくことを決める。米国でも日本でも笑顔を絶やさない彼だが、その裏には、祖国で暮らす家族に会えず、赤手空拳で己の置かれた状況を打破してきた日々がある。

「ムエタイのファイターがコーチに蹴り飛ばされていた」

 2009年、サラスは同郷のファイターでアテネ五輪金メダリストとしてプロに転向したユリオルキス・ガンボアやエリスランディ・ララをフロリダ州マイアミでコーチするようになる。

「アメリカに腰を落ち着けようと考えたのは、その頃ですね。アジアでは成功を収められましたし、ボクシングトレーナーとして食べていくなら、本場がいいだろうと。その後、多くの選手が集う、ラスベガスを選びました」

 サラスは2013年に、アメリカの市民権を得る。

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