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井岡一翔32歳のトレーナーが明かした壮絶な過去…なぜ“亡命”を選んだのか?「2、3カ月で収入わずか100ドル」「パスポートは没収された」

posted2022/03/18 11:01

 
井岡一翔32歳のトレーナーが明かした壮絶な過去…なぜ“亡命”を選んだのか?「2、3カ月で収入わずか100ドル」「パスポートは没収された」<Number Web> photograph by AFLO

写真は2011年2月11日、WBC世界ミニマム級タイトルマッチ。プロ7戦目で世界王者になった井岡一翔とトレーナーのイスマエル・サラス

text by

林壮一

林壮一Soichi Hayashi Sr.

PROFILE

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AFLO

WBO世界スーパーフライ級王者・井岡一翔(32歳)のキューバ人トレーナー、イスマエル・サラス。筆者はアメリカ、ネバダ州ラスベガスにあるサラスのボクシングジムを訪れた。そこで明かされたのは彼が祖国から“亡命”を選ぶまでの壮絶な過去だった(全2回の2回目/前編へ)。

「キューバではコーチとして働くために9年間学ぶ」

 イスマエル・サラスは、1957年6月17日にキューバ、グアンタナモで誕生した。父親は海軍に勤務するエンジニアで、サラスは6人きょうだいの下から2番目。兄と姉が2人ずついる。自宅から2ブロックの場所にボクシングジムがあり、この競技に興味を覚えた。

「私と同世代のラテンアメリカの男児は、日常的にストリートファイトをしていました。学校帰りに、そして帰宅後に外出してからも。遊びの延長線上に戦いがあったのです。当時、キューバのほとんどの家庭にはテレビがありませんでした。だから、モハメド・アリがいかに偉大なファイターだったかも、キューバ人はほとんど知りません。家にいても退屈なので、刺激を求めて外出していたんです。

 ボクシングジムに顔を出すようになり、『やってみるか? ちょっとジャブを打ってご覧』なんて声を掛けられ、のめり込んでいきました。グアンタナモはボクシングが盛んで、毎週火曜と木曜に試合がありました。12歳から試合に出始めて、アマチュア戦績は46勝5敗です。

 幸運なことに、ホセ・マリア・チバスという素晴らしいコーチと出会い、彼の指導を受けることが出来ました。いつしか、自分も彼のような指導者となることを人生の目標とするようになりました。私は教えることに喜びを感じたんですよね」

 20歳からパートタイムのコーチになったが、正式に仕事とするには、学を得ねばならなかった。

「まずは4年制の体育大学を卒業しました。その後、大学院でスポーツ科学を専攻し、5年かけて修士号を得ています。第一線でコーチとして働くには、9年間学ぶのがキューバのシステムです。多くのオリンピアンたちも、修士号を取得しているんですよ。技術を磨くと共に、体の仕組みや使い方、心理学も学べというのが我が国の考え方です。バルセロナ、アトランタ、シドニーと五輪3連覇を成し遂げたヘビー級のフェリックス・サボンも、大学院を出ています」

「2、3カ月で収入わずか100ドル」「パスポートは没収された」

 1977年から1992年まで、サラスはコーチとしてフェリックス・サボンや、バルセロナ五輪バンタム級金メダリストのホエル・カサマヨールなどに寄り添った。1983年からはキューバ・ナショナルチームの監督を務めている。

【次ページ】 「2、3カ月で収入わずか100ドル」「パスポートは没収された」

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