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レアルvsバルサの獲得競争は1950年代から壮絶だった 「史上最も紛糾した」世界最強FW移籍の真相〈97歳日本人が回想〉
text by
ファビアン・ロソ・カスティブランコ/沢田啓明Fabian Rozo Castiblanco/Hiroaki Sawada
photograph byL'EQUIPE/AFLO
posted2022/03/07 17:02
ディ・ステファノについては、レアル・マドリーとバルサが熾烈な獲得競争を繰り広げた
日本とコロンビアをつなぐ架け橋に
1960年に海軍を退役すると、地元の建設会社に勤めた後、コロンビア、エクアドル、ベネズエラの物産展を世界各地で開催する船会社に入り、長期間の航海を繰り返した。「飽きるほど船に乗ったな」と笑う。
一方、1985年に自らが発起人となって設立したアトランティコ県の日本コロンビア友好協会の会長として、現地に住む日本人のパスポート更新や仕事の斡旋、日系人の日本への出稼ぎ斡旋や日本での各種ビザ発行その他、種々雑多な相談に乗った。
「この地域には日本領事館がないから、その代行のようなもの。いや、駆け込み寺と呼ぶべきだったかな」と笑う。
両国友好への貢献を認められ、1990年、日本政府から勲五等瑞宝章を授与された。
「偉大な選手と対戦できて本当に幸せだった」
2014年7月、薫より2歳年下のディ・ステファノが88歳の生涯を閉じた。「レジェンドが亡くなり、とても悲しい。でも、彼のような偉大な選手と対戦できて本当に幸せだった」と語る。
その一方で、「1949年にリーグ優勝したときの仲間は、皆、鬼籍に入ってしまった。“エル・ドラード”の頃の選手も、ほとんど亡くなっている。寂しいね」と嘆く。
今は、11人の子供、13人の孫、12人のひ孫に恵まれ、自宅で静かに余生を送る。
耳は少し遠くなったが、これといった持病はない。
「ビッグクラブでプレーし、海軍で任務を果たし、朝鮮戦争に志願兵として参加して、自分のルーツがある日本へも行けた。非常に恵まれた人生だったと思う」
今後の望みを聞くと、「家族と過ごす時間を大切にして、できるだけ長生きをしたい」と微笑んだ。
波乱万丈のキャリアと生涯を送った97歳の元フットボーラーは、生まれ育ったコロンビアで人生の大半を過ごしてきたが、自らのルーツがある日本への愛着も強い。
「2014年と2018年のW杯で日本とコロンビアが対戦したときは、両方を応援した。引き分けてくれたら一番よかったのだが…」(注:結果は、2014年大会ではコロンビアが4-1で、2018年大会は日本が2-1で勝利)。さらに、「2022年大会にも揃って出場し、良い成績を残してほしい」と両国のフットボールの発展を願う。
「でも、同じグループに入って対決するのはもういいかな」と小さく笑った。
<第1回、第2回から続く>