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《追悼》“12球団初の新卒スカウト”が「マムシの今成」と呼ばれるまで…明かしていた“無名の有望選手を他球団から隠した”話

posted2022/03/04 17:03

 
《追悼》“12球団初の新卒スカウト”が「マムシの今成」と呼ばれるまで…明かしていた“無名の有望選手を他球団から隠した”話<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2004年12月、日本ハムとの仮契約の記者会見後、笑顔を見せる宮城・東北高校のダルビッシュ有投手と今成泰章担当スカウト

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菊地高弘

菊地高弘Takahiro Kikuchi

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 突然の訃報に言葉を失った。日本ハムの今成泰章スカウトが、3月2日に劇症型溶血性レンサ球菌感染症で死去したという。66歳になったとはいえ、前年にも球場で精力的に視察する姿を見ていただけに、あまりに突然の死だった。

 営業マンと見紛うばかりのスーツ姿のプロ野球スカウトが主流になった今でも、今成さんは「昭和のスカウト」のムードを漂わせた。なにしろ、ついた異名が「マムシ」である。食らいついたら離さない、粘りを身上とするスカウトだった。ぎょろりと鋭い眼光と低音ボイスには威圧感があり、球場で何度挨拶しても緊張が絶えなかった。

12球団初の”新卒スカウト”「いつか見返してやると」

 今成さんがまとう独特のムードは、その経歴と無縁ではなかった。今成さんいわく「恐らく12球団初の新卒スカウト」だった。駒澤大3年時に肩を痛めて選手を断念し、東都大学リーグのパイプを求めていた阪神からスカウトとして採用された。

 当時の苦労話を聞くと、今成さんは苦笑交じりにこんなエピソードを教えてくれた。

「最初は挫折ばかりだったね。どこに行っても『アマチュア出身』って目で見られるし、『変なヤツが来たな』って言われていたよ。元プロのスカウトはチームに1回行けば覚えてもらえるけど、こっちは全然覚えてもらえないんだ」

 そして、今成さんはぎょろりと目に力を込め、こう続けた。

「いつか見返してやるとガムシャラにやったよ。誰よりも先に球場に行って、誰よりも長く見て、選手を見極めてやろうと。元プロのスカウトが1~2回行くなら、自分は5回でも6回でも見に行こうと。俺も負けず嫌いだからさ」

目当ての“無名選手”を他球団に隠すべく…

 今のように地区別に担当スカウトを配置できたわけではなく、情報も少ない時代だった。スカウト間の化かし合いも日常茶飯事。他球団のスカウトから「あの選手は見ておいたほうがいいぞ」と言われて視察に行くと、箸にも棒にも掛からない選手だったこともあった。今成さんは「そういうことをする人がいっぱいいたんだよ」と笑った。

【次ページ】 今成スカウトが語っていた“日ハムの強み”

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