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“10戦10勝の22歳”は堀口恭司も跳ね返されたUFCの頂に立てるのか? フォトグラファーが撮り続けた「日本人の王座挑戦20年史」
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2022/03/01 17:10
2015年4月、歴代屈指の名王者と称されるデメトリアス・ジョンソンに挑戦した堀口恭司。この試合がUFCでの唯一の敗戦となった
判定が読み上げられる。最初のジャッジはペン、2人目のジャッジは宇野、最後のジャッジはドローで、試合は引き分けになった。試合後の宇野は安堵の表情を浮かべていたが、ペンは判定内容に納得していない様子だった。UFCのフェティータCEOに対しても両手を広げ、この判定はどういうことだというポーズを見せていたほどだった。
ペンはその後、史上2人目の2階級制覇を達成し、2015年にはUFC Hall Of Fame(殿堂入り)を果たした。宇野は昨年11月にも試合を行い、今も現役を続けている。
完全アウェイの熱狂に「無事に会場を出られるのか…」
桜井“マッハ”速人が『UFC 36』でウェルター級のベルトに挑戦したのは、宇野とペンが激闘を繰り広げた約1年前、2002年3月のことだ。対戦相手は、後にペンや“GSP”ことジョルジュ・サンピエールと覇権を争い、UFC殿堂入りを果たすマット・ヒューズ。関係者の間では桜井が有利なのではと言われていたが、 開催地のラスベガスに到着後に急性腰痛症(ぎっくり腰)を発症してしまう。万全にはほど遠いコンデションで健闘したが、4ラウンド途中でレフェリーに試合を止められ、桜井の挑戦は終わった。
岡見勇信は2006年にUFCデビューした後、7年以上に渡って同団体のトップファイターとして在籍していた。世界の中でも選りすぐりの選手を集めているUFCにおいて、これだけ長く活躍する選手は少ない。また、オクタゴンで10勝以上した選手は、日本人では14勝の岡見だけであり、この記録は当分の間、破られそうにない。彼がミドル級の王座に挑んだのは、2011年8月だった。
対戦相手は「The Greatest Of All Time」(史上最高)と呼ばれたアンデウソン・シウバ。アンデウソンはUFCの連勝記録や王座の在位など、数々のレコードを持つ最強のチャンピオンである。しかも開催地は彼の地元、ブラジルだ。現地での岡見に対する認知度は低く、勝敗よりも「王者がどのように相手を倒すか」がいちばんの焦点となっていたことに、筆者は怒りを通り越して呆れたほどだった。
大歓声の中、試合がはじまった。アンデウソンの一挙手一投足に注目が集まり、観客はその動きに反応する。アウェイの洗礼どころではない。もしアンデウソンが敗れるようなことがあったら暴動が起きるだろう。岡見を含めた我々日本人は、無事に会場を出られるのかと思わせるくらいの情熱と熱狂だった。試合は2ラウンドからギアを上げたアンデウソンが一方的に攻め込み、岡見はTKO負けを喫した。