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“10戦10勝の22歳”は堀口恭司も跳ね返されたUFCの頂に立てるのか? フォトグラファーが撮り続けた「日本人の王座挑戦20年史」
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2022/03/01 17:10
2015年4月、歴代屈指の名王者と称されるデメトリアス・ジョンソンに挑戦した堀口恭司。この試合がUFCでの唯一の敗戦となった
アトランティックシティは東海岸最大のカジノがある観光地だ。しかし、2001年2月の同地はまだ寒く、観光客もまばらで、ボードウォークと呼ばれる海岸線の板張りの遊歩道には雪が残っていた。宇野の試合はセミファイナルだった。彼は日本での試合と同じように道着を着て入場し、マットの上に大の字に寝転がった。その様子は何度も見慣れた宇野のルーティンワークで、表情を見るとリラックスした良い表情だ。
試合が始まった。宇野はテイクダウンを決めて、バックを奪う。だが、フィニッシュすることができない。ラウンドが進むとタックルをかわされて、パルヴァーの打撃を受けるシーンが多くなってきた。しかし、宇野のパンチやキックも確実にダメージを与えている。5ラウンドを闘い抜き、勝負は判定に持ち込まれた。
パンチなどの打撃はパルヴァーだが、与えたダメージなどを総合的に判断すると「宇野の勝ちだ」と私は確信。カメラのピントを宇野に合わせたのだが、勝者はパルヴァーだった。今にも泣き出さんばかりの顔をしていた勝者。淡々と負けを受け入れた敗者。宇野にとっては、ほろ苦いUFCデビューとなった。
“世界屈指の寝業師”BJ・ペンと宇野の激闘
宇野はその後も継続してUFCに参戦した。翌年9月にはパルヴァーが返上したベルトをめぐって、宇野を含めた4選手によるライト級(バンタム級がライト級に名称を変更)王座決定トーナメントがスタート。彼は初戦のディン・トーマスを判定で破り、2003年2月の決勝戦へ出場することになった。決勝の相手はBJ・ペン。ペンとは前年11月に対戦したが、わずか11秒で敗れたばかりだった。そのリベンジとUFC王座が懸かった、宇野にとって絶対に負けられない試合になった。
『UFC 41』の王座決定戦は、宇野がパルヴァーとタイトルを競ったアトランティックシティで開催された。季節も前回と同じ2月だったが、筆者には寒かった記憶はない。2年前は3千人の観客だったが、この日は1万人を超える大観衆が詰めかけ、両者の試合が一進一退の白熱したファイトだったからかもしれない。
ペンは柔術で最も権威がある、ムンジアル(世界柔術選手権)で優勝した寝業師だ。序盤から宇野は何度もバックを奪われピンチになるが、「宇野逃げ」と呼ばれる得意の防御で脱出する。試合中盤になり、攻め疲れたペンに、宇野のローキックが冴えわたる。テイクダウンから寝技で上になり、パウンドを何度も落とす。驚異的なスタミナで動き回り、試合を支配するようになったところで、試合は終了した。4ラウンドに宇野は顔面からの出血があり、見た目やダメージではペンが有利か。