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“10戦10勝の22歳”は堀口恭司も跳ね返されたUFCの頂に立てるのか? フォトグラファーが撮り続けた「日本人の王座挑戦20年史」

posted2022/03/01 17:10

 
“10戦10勝の22歳”は堀口恭司も跳ね返されたUFCの頂に立てるのか? フォトグラファーが撮り続けた「日本人の王座挑戦20年史」<Number Web> photograph by Susumu Nagao

2015年4月、歴代屈指の名王者と称されるデメトリアス・ジョンソンに挑戦した堀口恭司。この試合がUFCでの唯一の敗戦となった

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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Susumu Nagao

 修斗フライ級王者の平良達郎が、2月4日にUFCと契約し、4月30日にラスベガスでの試合でデビューすることが決まった。平良は22歳の沖縄在住の選手で、高校生のときに地元のジムに入門。2018年にプロデビューすると、昨年7月には無敗のまま修斗のべルトを腰に巻き、現在10連勝中だ。そのうち8試合がKOもしくは一本勝ちという戦績からもわかるように、彼の試合には華があり、フォトジェニックな選手である。平良はUFCとの契約に際して以下のようにコメントしている。

「契約する事が目標ではない、UFCでベルトを巻くために今を生きている」

 まさに彼の言う通りである。過去にUFCに参戦した日本人は60名以上いるが、ベルトを巻いたものは未だにいない。そのベルトに挑戦した選手もわずか数人しかいない、本当に狭き門なのだ。筆者はUFCのオフィシャルカメラマンだったこともあり、2001年のズッファ(Zuffa)体制への移行以来、そのすべてのタイトルマッチに立ち会っている。平良が目指すその頂(いただき)を、写真と共に振り返ってみたい。

宇野薫にとってUFCは「メジャーリーグ」だった

 UFCのベルトに最も近づいた日本人は宇野薫である。宇野は1999年に佐藤ルミナとの修斗ウェルター級王座決定戦に勝利。翌年12月、同タイトルを防衛するが、その場でベルトを返上した。さらに年が明けた2001年、宇野は米国でトレーニングを開始。シアトルのジムで高阪剛やモーリス・スミスらと練習中にUFCから電話があり、出場オファーを受けた。

 この頃、UFCはセマフォ・エンターテイメント・グループ(SEG)からフェティータ兄弟とダナ・ホワイトが運営するズッファ社に売却されたばかりだった。階級を細分化させ、競技性を高めようとしていたズッファは初代バンタム級王者決定戦を企画。ジェンス・パルヴァーの対戦相手として、宇野に白羽の矢が立った。タイトルマッチまでの準備期間は、1カ月強。突然の申し出だったが、当時を振り返り宇野はこう語っている。

「少し考えましたが……。やはりUFCというメジャーリーグの舞台に挑戦したいと思い、(出場の)返事をしました。シアトルでの遠征から一度帰国して、ニューヨークで新生ズッファ体制UFCのPR活動をして、それからアトランティックシティ、試合会場のトランプタージマハールへ入りました」

【次ページ】 “世界屈指の寝業師”BJ・ペンと宇野の激闘

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