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「底知れない恐怖を感じた」ウクライナ危機に巻き込まれたブラジル人選手たち…雪道を25km歩いて国外脱出、二重国籍の選手は戦闘参加も? 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byFuture Publishing/Getty Images

posted2022/03/01 11:03

「底知れない恐怖を感じた」ウクライナ危機に巻き込まれたブラジル人選手たち…雪道を25km歩いて国外脱出、二重国籍の選手は戦闘参加も?<Number Web> photograph by Future Publishing/Getty Images

2021年12月、CLを戦ったシャフタール・ドネツクのメンバー。ブラジル人選手も多い

 クラブレベルでは、2008-09シーズンにシャフタール・ドネツクが欧州カップ(現在のヨーロッパリーグ)で優勝。欧州CLではソ連時代を含めるとディナモ・キエフが3度、ベスト4に食い込んでいる。

 この国が生んだ史上最高の選手は、強烈無比のシュートでゴールを量産したFWアンドリー・シェフチェンコ。ACミランの一員として2003年に欧州CLで優勝し、2004年にバロンドールを獲得した。

 ウクライナリーグにおけるブラジル人選手のプレゼンスは、非常に大きい。 

 現在、1部30人、2部10人の計40人が在籍。国内最強のシャフタール・ドネツクだけで13人(モラエスを含む)を数える。外国人選手は100人足らずというから、その4割以上をブラジル人が占める。

 ブラジル人選手で最初にウクライナのクラブに入団したのは、FWブランドン。ブラジルの中堅クラブで活躍した後、2002年にシャフタール・ドネツク入り。すぐにレギュラーとなり、リーグを3度制覇した。2005-06シーズンには得点王に輝いた。

2014年、戦闘地域に送られかけた選手もいた

 以来、ウクライナのクラブはこぞってブラジル人選手を獲得するようになった。

 その一人が、MFフェルナンジーニョ。2005年から8季、シャフタール・ドネツクで活躍し、2013年夏、移籍金4000万ユーロ(約52億円)でマンチェスター・シティへ。ブラジル代表にも選ばれ、2014年と18年のW杯に出場した。

 先に述べたジュニオール・モラエスより前に、国籍を取得してウクライナ代表でプレーした選手がいる。ボランチのエジマールである。

 ブラジルの名門インテルナシオナルのアカデミーで育ち、2002年、ウクライナの中堅クラブへ。2011年にウクライナ国籍を取得し、2014年W杯欧州予選など15試合に出場して1得点をあげた。その後、複数のクラブに在籍し、計14年以上、この国でプレーした。

 エジマールは、2014年、ウクライナ軍に徴兵された。危うく戦闘地域へ送られるところだったが、当時在籍していたクラブの会長が政府の要人に頼み込み、徴兵を取り下げてもらったという。

 ウクライナリーグは、当面、いつ再開されるか全く見当がつかない。いずれにせよ、ブラジル人選手をはじめとする外国人選手の多くが戻ってこないだろうから、大打撃を受けるのではないか。その一方で、ブラジル人選手も重要なマーケットを失うことになりそうだ。<続きを読む>

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