Jをめぐる冒険BACK NUMBER
「湘南で満男さんのような存在に…」古巣復帰・永木亮太33歳 “背番号41の初心”と、鹿島を経たからこその“20代と違う貢献”
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byShonan Bellmare
posted2022/02/17 17:00
2013シーズン以来となるベルマーレ復帰を決めた永木亮太。鹿島で得た経験値を、湘南の地でどう還元するか注目だ
「おっしゃる通り、自分が主軸として、主戦場のボランチでシーズンを通してプレーしたことはありませんでした。それなりに試合に出ていましたけど、クローザーとしてゲーム終盤から出場する役割をこなしたこともたくさんあった。やっぱり選手としては『最初から試合に出たい』と思っているので、その点に関しては満足していない。ただ、6年間を振り返ると、それ以上の経験ができたのも確かです。チャンピオンシップ、天皇杯、ACLのタイトルが獲れたし、先輩たちの闘う姿や、チームを勝利に導いていく試合中の振る舞いを間近で見られた。ずっと湘南にいたら学べなかったことなので、そこに関してはすごく良かったと思っています」
気持ちが乗らない日があっても自分なりの100%で
――鹿島での永木選手を思うとき、内田篤人さんの引退会見での言葉が思い出されます。「練習や試合で少し抑えながら、という状態が続いていた。永木や小泉(慶)、土居(聖真)は100%で練習しているのに、隣に立つのは失礼だと思った」と。永木選手もその頃、サブに回ったり、サイドバックをこなしたりしていた時期ですが、歯を食いしばりながら、真摯に取り組んでいたんだろうことが想像できました。
「やっぱりプロサッカー選手である以上、どんなときでも自分の持っている力を100%出すのが当たり前だと思っているので。そこは自分の中でブレちゃいけないところだと思っていました。正直、僕から見て、100%でやれていない選手もいました。でも、自分はプロとしてお金をもらっている。どの仕事もそうだと思いますけど、対価をもらっている以上、100%で取り組むのは当たり前のことだと思うんです。鹿島の場合、フロントスタッフもプロ意識が高いですし、クラブ全体がプロの集団でもあったので、先輩の姿から感じた部分でもあります。もちろん、気分が乗らない日もありましたけど、それを押し殺して、自分なりの100%でやろうという気持ちは常に持っていましたね」
――それ以外にも、内田さんの口から永木選手の名前が出ることがあったので、親しくされていたのかなと。内田さんから学んだことはなんでしょう?
「あれだけの経験をしている人は、Jリーグを見渡してもいないですよね。頭も良くて、言葉もすごくわかりやすい。僕はプレーに関してそこまでアドバイスされることはなかったですけど、若手や同じポジションの選手はアドバイスをたくさんもらっていました。経験があると、言葉に説得力が生まれるので、みんな聞く耳を持ちますしね。篤人くん自身はケガを抱えながらキャプテンもやっていたので、正直キツかったと思うんですけど、『チームのために』という気持ちをすごく持っている選手だった。そういう選手には若手も付いていきますし、『篤人くんのために』という気持ちになれる選手でしたね」
――永木選手も鹿島でリーグ、天皇杯、ACLを獲りました。以前に湘南にいたときよりも、言葉に説得力が生まれていると思います。そうした意識や自覚はありますか?