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鍵山優真が父・正和コーチに「オリンピックで優勝したい」と告げた日…北京五輪銀メダリストの原風景は“父のスケート”だった 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byAtsushi Hashimoto

posted2022/02/15 11:00

鍵山優真が父・正和コーチに「オリンピックで優勝したい」と告げた日…北京五輪銀メダリストの原風景は“父のスケート”だった<Number Web> photograph by Atsushi Hashimoto

2019年全日本ジュニアで初優勝を果たした鍵山優真

いつも通りの家族団らんの時間が……

 5歳でスケートを始めた鍵山だが、元々はスピンが得意でジャンプは苦手だったそうだ。練習でも好きな踊りやスピンに時間をかけて楽しく滑っていたが、ある日、意識改革が始まった。それは、ジュニアに上がることになった4年前。「本気で勝ちたいと思うようになった」鍵山は、父に「オリンピックで優勝したい」と告げた。いつも通りの家族団らんの時間が、キリッと引き締まった。父は「一緒にそこに向かって頑張っていこう」と言った。

 本気で目指すものができてからはジャンプの練習にも今まで以上に精が出るようになった。そこで鍵山が気づいたのが、ヒザの柔らかさが父譲りであることだ。

「4回転はケガのリスクも背負いながらやるジャンプなのですが、ヒザが柔らかいことがケガの危険を減らしてくれます。氷(の衝撃)を吸収するので、いい武器であり持ち味だと思います。そのお陰で、ここまで大きなケガをせずに来られました」

鍵山の原風景は“父のスケート”

 ジャンプだけでなく、振付を担当する佐藤操コーチにも教わるステップなどの部分でも今季は成長を見せた。技術と表現の両輪がうまくかみ合っての成長でもあった。

 鍵山には、一人の時間にだけ見る宝物のような映像がある。父の現役最後の試合だった'94年3月の世界選手権。自己最高の6位入賞を果たしたときの演技である。

「昔の選手は、スケーティングやジャンプに迫力があって凄いなと思います。美しいというより、迫力ですね。父は『恥ずかしい』と言って一緒に見ることはないんですけど(笑)」

 いわば鍵山にとっての原風景。映像の中でまぶしく輝く父への尊敬の念も、若い背中を押している。

【次ページ】 語っていた「最終的な目標は五輪の金メダル」

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