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「頭の中はパニックでした。謝ればいいのかな、とか」中野友加里36歳が今だから語る“バンクーバー五輪代表から落選した日”
text by
秋山千佳Chika Akiyama
photograph byYuki Suenaga
posted2022/02/17 17:02
わずか「0.17」差に敗れた2009年の全日本選手権から11年。元フィギュアスケーターの中野友加里さんが当時を振り返った
中野 フィギュアスケートがメジャースポーツに駆け上がって大ブームになった時期に、強い仲間たちと戦いあった一人だからだと思います。周りがいたから私自身も強くなれましたし、周りがいたからこそ、私の名前も覚えてもらえました。
――スポーツ漫画だったりアニメだったりも、ライバルがいてこそ成り立ちますが、そういう登場人物の一人だったのが大きいということですか。
中野 そうですね。強い仲間たちと大会に出ることで、皆さんが目を向けてくれました。一番でなくとも見てくれる人はいるんですよね。
――人生において「一番でなくとも見てくれる人はいる」という言葉に励まされる人がいると思います。それに、順位として1位でなくとも、中野さんを応援していた人の中で「世界一のドーナツスピン」という代名詞は消えないですものね。
中野 そのドーナツスピンや、トリプルアクセルもですが、人にはできない武器が一つでもあれば見てもらえるかもしれないなと思って取り組んでいました。
塗り替えられても、フィギュアは“人生の大きな軸”
――そういう努力があったからこそ、引退から12年経つ今も多くの人の記憶に残っているのでしょう。
中野 いずれ21年というスケート人生より、それ以外の人生の方が長くなります。どんどん子育てに塗り替えられていくし、それでいいと思います。ただ塗り替えられても、フィギュアスケートをやってきたことは人生の大きな軸として残っています。なので、これからもフィギュアスケートに携わる仕事は何かしらしていたいです。
〈#3に続く〉