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「これでもアイドルだったのよっ」芸能界を引退し“男だけの”相撲界へ…元・高田みづえが32年間のおかみさん業を“卒業”するまで
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byKYODO
posted2022/02/04 11:09
写真は1985年2月、婚約を発表した大関・若嶋津と歌手の高田みづえさん(紀尾井町のホテルニューオータニで)
力士たちは、「クリスマスには、部屋の階段一段一段におかみさんからのプレゼントがそれぞれに置いてあるんですよ」「成人式にはおかみさんが赤飯を炊いてくれるんです。うちの親だったらきっと忘れてますよ(笑)」などと口々に“おかみさん自慢”をするのだった。
「これでもアイドルだったのよっ」
みづえさんは、一度、長く伸ばした髪で床山にちょんマゲを結ってもらったことがある。力士たちはその姿に一瞬驚きつつも、
「おかみさん、ついでに廻しも付けたらどうですか?」
「おかみさん、アイドルだったんですか? コメディアンだったんですか?」
「ちきしょーっ、これでもアイドルだったのよっ」
と大きな笑い声が響いたという。
「マゲを結うのって、髪の毛をぴゃーっと引っ張られて痛いんです。彼らは毎日こんな思いをしているのか、と経験してわかりました。母には『おかみさんとしての威厳がない』と叱られちゃいましたけど(笑)。おかみさんって母親代わりと言われますが、しばらくは”面白いおねえちゃん”でもいいのかな、と思っているんです。もちろん、親に代わって、親が思ってあげるくらいに思ってあげたいという気持ちがあるんですけれど――やはり母ってすごく大きい存在で、どうやったって本当の母親にはかなわない……」
”相撲部屋のおかみ”とは、決して仕事ではないんです――とその言葉に力を込めた。
「大変そうと言われますが、うちの部屋には力士だったマネージャーもいて、親方の片腕として仕事をしてくれています。やはり男社会ですし、親方とマネージャーは現役時代からの付き合いですから、目と目でうんうん、なんてうなずきあっているのを見ると、『それだけでわかっちゃうの?』とビックリするくらいですから。私がすることも、どこの家庭でもやっているようなことです。たとえば花の水を換えたりとか、ちょっと気配りするくらいなんですよ」
そう言いつつも、力士たちが地方場所に出掛けたあとは、「見るに見かねて」弟子たちの大量の布団カバーやシーツを洗う重労働も厭わないのだった。
部屋創設9年目にして、初めて関取が誕生した時は、親方とマネージャーが握手しながら男泣きしているのを目にした。みづえさんは、「関取が出たから単に嬉しいというのではなく、彼らを見て、『またここから先が大変なんだな』と感じてしまった」という。