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「これでもアイドルだったのよっ」芸能界を引退し“男だけの”相撲界へ…元・高田みづえが32年間のおかみさん業を“卒業”するまで 

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佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph byKYODO

posted2022/02/04 11:09

「これでもアイドルだったのよっ」芸能界を引退し“男だけの”相撲界へ…元・高田みづえが32年間のおかみさん業を“卒業”するまで<Number Web> photograph by KYODO

写真は1985年2月、婚約を発表した大関・若嶋津と歌手の高田みづえさん(紀尾井町のホテルニューオータニで)

「親方は自分では言わないけど、実は親方もやっていたの。こ~んな大きな青タンができてたんだよ。みんな苦労は同じ。痛みは同じなんだよ」

 みづえさんのこの言葉に、いささか照れくさそうな親方だったと言うが、

「彼らにしてみれば、自分の痛みもわかってもらえるって思いますよね。逆に私が親方に言うこともあるんです。自分は昔のことだから忘れちゃう。自分が昔にできたからお相撲さんたちもすぐできると思って要求するのは大間違い。はがゆいだろうけど、彼らだって努力しているし、段階があるんだから、って」

 親方にとっても、弟子にとっても頼もしい”相撲部屋の紅一点”なのだった。

「もっと”縁の下の力持ち”としての誇りを持ちたい」

 これらの、かつての瑞々しいみづえさんの数々の言葉は、約四半世紀の時を経た今も忘れられない。時として人知れず涙を流す時もあったに違いなく、喜怒哀楽の毎日を送り、32年に及ぶ”おかみ人生”をまっとうした。

 一門の総帥が名乗る”二所ノ関”の名を、元横綱稀勢の里に禅譲した親方は、今後は荒磯を名乗り、「参与」との役職で相撲協会に携わってもゆく。2人の子どももすでに独立した今、頭部の手術を受けて未だ体が万全とは言えない夫に、今後は妻としてそっと寄り添ってもいくのだろう。

 定年を迎え、部屋の看板を下ろしたこの初場所、親方と同じ鹿児島県・種子島出身の島津海が新十両昇進を決める吉報が入った。みづえさんの声を今ひとたび聴きたいところなのだが――在りし日の思い出が残る部屋の公式ホームページを1月24日付で潔く閉鎖していた。キラキラと輝く目で、かつてこう語っていたのを想い出してもいる。

「縁あって大相撲という世界のおかみになり、歌手であった時の誇り以上に、もっと”縁の下の力持ち”としての誇りを持ちたい、そう思っているんです」

 153センチの小柄な体で、屈強な男たちを縁の下から支えて来た32年の月日――今はまだ、来し方を静かに噛みしめている時なのだろう。

 かつて稽古場に響きわたった『夫婦坂』の歌声が蘇ってくる。相撲部屋の師匠とおかみとして二人三脚――夫婦坂を登って来た今、みづえさんのその目には、どんな風景が見えているのだろうか。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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