相撲春秋BACK NUMBER

「これでもアイドルだったのよっ」芸能界を引退し“男だけの”相撲界へ…元・高田みづえが32年間のおかみさん業を“卒業”するまで

posted2022/02/04 11:09

 
「これでもアイドルだったのよっ」芸能界を引退し“男だけの”相撲界へ…元・高田みづえが32年間のおかみさん業を“卒業”するまで<Number Web> photograph by KYODO

写真は1985年2月、婚約を発表した大関・若嶋津と歌手の高田みづえさん(紀尾井町のホテルニューオータニで)

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

PROFILE

photograph by

KYODO

 2022年初場所を終え、あるひとりの女性が、相撲部屋のおかみさんを“卒業”した。人気大関だった若嶋津の伴侶である、元実力派アイドル歌手の高田みづえ――日高みづえさんだ。

 1977年、『硝子坂』でデビューし、『私はピアノ』『そんなヒロシに騙されて』で2度のレコード大賞金賞を受賞。85年に、当時大関だった同郷の若嶋津と24歳で結婚し、同時に並々ならぬ覚悟で芸能界をきっぱりと引退する。90年2月、千葉県船橋市に松ヶ根部屋(当時)を興した夫に寄り添い、華やかな芸能界と対極にあるかのような相撲界――男だけの修業の世界を裏から支える”おかみさん”となった。

 2014年に、夫は一門総帥の“二所ノ関部屋”を継承。このたびの定年退職にあたり、32年の長きにわたり掲げて来た相撲部屋の看板を下ろした。夫と弟子たちを、小柄な体と底抜けの明るさで支えてきた“薩摩おごじょ”だ。「まだ、どうしても私の名前が目立ってしまうから」とメディア出演を遠慮していたみづえさんを説得し、初めてインタビューをさせていただいたのは、もう四半世紀近く前のこと。アイドル歌手から人気大関夫人に、2人の子どもを持つ母として、そして相撲部屋のおかみに――。折々に取材させていただいた、みづえさんの言葉を振り返ってみた。

「ジーパンくらい新しいのを買ってくれ、と」

 いつなん時も割烹着やエプロン、ジーパン姿。まったく飾ることなく、堅実で控え目。小柄な体で元気いっぱい にくるくると動き周り、常に笑顔を絶やさないおかみさんだった。

「お願いだからジーパンくらい新しいのを買ってくれ、と親方に言われてしまうんですよ(笑)」との笑顔を懐かしく想い出す。

 松ヶ根部屋設立当初は、弟子3人と元力士のマネージャーとのスタートだった。

「それまで二子山部屋(初代若乃花)のほうに預けていた内弟子さん2人と、床山さんになる子と一緒に、初めて食事をしたんです。私は30歳にもなって、なんだか気恥ずかしかったのを憶えています。当時、正直言って歌手だったことをハンデに感じたこともありました。どうしても私の名前が出てしまう。インタビューやテレビの取材も、それを見てお相撲さんたちの親御さんが部屋の雰囲気をわかってくれたらいいという気持ちもあったけれど、『よし、徹底的に裏方に徹してやろう』と思ったんです。もう、必要以上に肩に力が入っちゃっていたんですね」

町内会役員、PTA役員も経験

 結婚当初はさらに、「若嶋津の奥さんよ」「あ、高田みづえだ」との周囲の目が気になり、外出もおっくうなほどだったのだという。母となってから、みづえさんの心境に変化があった。

【次ページ】 町内会役員、PTA役員も経験

1 2 3 4 5 NEXT
高田みづえ
若嶋津
二所ノ関部屋
稀勢の里

相撲の前後の記事

ページトップ