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“羽生結弦のライバル”パトリック・チャン31歳は不動産ブローカーに転身し父親になっていた…羽生、高橋ら日本勢に送ったエールとは?
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph by本人提供
posted2022/02/02 11:05
競技引退後の現在は不動産ブローカーとして働いているパトリック・チャン
競技人生で最高の思い出はオリンピック
このところ異常なまでに膨れ上がっていくオリンピックの運営費、不透明なIOCの体質などが疑問視され、オリンピック不要論まで飛び出すようになってきた。アスリート側から見た意見は、どうなのだろうか。
「このところ資本主義至上の、商業価値が主体になって本来のオリンピックの意図が失われてきているようにも感じます。もっとアスリート中心の、サステイナブル(持続可能)なオリンピックができたら理想だと思います」
そう言いながらも、やはりオリンピックは特別だと言う。
「ぼくの競技生活でもっとも思い出深いものは、やはりオリンピックでの体験でした。他競技のアスリートと交流したり、やはり特別な場なんです」
パトリックはソチオリンピックの前に3度世界タイトルを手にし、最有力の金メダリスト候補だった。銀に終わったことの失望もあったが、やはりそれでも最高の思い出はオリンピックなのだという。
「ユヅには後悔の残らない演技をして欲しい」
「時々一般の人に声をかけられるときも、『ソチで見ました』『平昌で見ました』と言われるけれど、『2011年世界選手権で優勝したのを見ましたよ』と言われることはない。やはりオリンピックは、スポーツを広めていく上でも特別な場であると思うんです」
だが当時から、そのようなことが俯瞰的に見えていたわけではないのだという。
「今思い返すと、ぼくは小さなことにとらわれて十分にその場の体験を楽しんでいなかった。些細なことで、不満を持ったりもしていました。北京では感染拡大防止などで不自由はあると思うけど、アスリートには存分にオリンピック体験を楽しんで欲しいと思います」
パトリックが平昌オリンピックに出場した時、彼は27歳だった。北京に赴く羽生と同じ年齢である。
「年齢と共に、体力的にきつくなっていくことは確か。ソチの方がずっと楽でした。でもユヅはとてもよくトレーニングができていて、まだまだ体力があるように見えます。後悔の残らない演技をして欲しいと思います」。かつてのライバルは、そう言葉を結んだ。
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