甲子園の風BACK NUMBER
「本当はサッカーをしてほしかったはず」Jリーガーだった父と約束したセンバツ優勝…天理“不動の4番”内藤大翔が野球を選んだ理由
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byJIJI PRESS
posted2022/01/29 06:00
センバツ出場を決めた天理で不動の4番を務める内藤大翔内野手。父に成長した姿を見せるためにも、甲子園での活躍を誓った
ソフトボールに惹かれたのは「ゴロでも全員で繋いで勝つというチームの雰囲気がすごく好きだったから」。当時、神戸国際大学を率いているために単身赴任していた父と家族全員で暮らそうと、中学に進学するタイミングで、父の出身地である奈良へやってきた。
内藤は生駒市内の中学校に進み、強豪・生駒ボーイズに入部して三塁手とピッチャーを務めた。最速138キロの速球を武器にしていただけでなく、4番を打つことも多く、当時から遠くへ飛ばすことと投げることも好きだった。
ただ、ソフトボール時代から父が自分の試合を見に来てくれることはほとんどなかった。土日にはリーグ戦の試合もあるため、監督業が優先せざるを得ないことは分かっていたが、学年が上がるごとに父の心境を徐々に理解するようになったという。
「(決断した)あの時はあまりそこまで考えていなかったですが、父からしたら本当は僕にサッカーをしてほしかったはずです。でも自分にそんなことは一切言いませんでした」
福岡に戻らず、天理高校を選んだ理由
高校は生駒ボーイズの1年上で、天理高で1年秋から活躍していた瀬千皓(明大進学予定)の背中を追った。福岡には戻らず、馴染むのに時間がかかった関西で、さらに関西圏の精鋭たちが集まる強豪校へ進んだのは理由があった。
「レベルの高いところで頑張れば、もっと野球がうまくなると思いました。実際、天理に入って先輩方の練習に取り組む姿勢や意識の高さに驚きましたが、決められたルールの中で練習する中で強豪チームには色んな規律もあるんだなと思いましたし、そういう環境で成長していきたかったんです」
何より、うまくなった自分を父に見てもらいたいという思いもあった。天理では1年秋からレギュラーとなり、試合での出場機会が増えると、父は徐々に球場に顔を出してくれるようになった。ただ、監督を務める宮崎に住んでいる父は、頻繁に奈良へ行くことは難しい。ましてや現在のコロナ禍での移動は、かなりの神経を使う。それでも、自分を見てくれる父の存在が大きな支えとなっている。
「以前に比べて今は父とはよく連絡を取っています。天理は携帯電話を普段使えないので、寮に電話をしてもらって会話することが多いです」