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〈婦女暴行容疑〉“ネイマールが憧れた天才ドリブラー”に禁固9年の最終判決… ロビーニョの“私生活の乱れ”に痛感する教訓
posted2022/01/24 17:01
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Takuya Sugiyama
「禁固9年と罰金6万ユーロ(約780万円)」
1月19日、イタリア最高裁がロブソン・デ・ソウザに下した最終判決である。有罪が確定。実刑で、執行猶予はない。
ロブソン・デ・ソウザ、通称ロビーニョ。サントス郊外の貧しい家庭で生まれた。6歳で地元のフットサル・チームに入り、テクニックを鍛えた。12歳で、名門サントスのアカデミーに入団した。
両足で目まぐるしくボールを跨ぐシザース(ブラジルでは「ペダラーダ」と呼ぶ)、股抜き、シャペウ(「帽子」の意味。ボールを高く浮かせて相手をかわす)などの華麗なプレーでマーカーを手玉に取った。クラブ関係者から“天才ドリブラー”と呼ばれ、“ペレ以来の逸材”という声まで出た。
若き日はペレ本人が「自分の若い頃にそっくり」と
その評判を聞いて、ペレ本人がU-13の練習場へやってきた。キングは「自分の若い頃に、背格好もプレースタイルもそっくり」と相好を崩した。しかし、小さくて痩せているのを見て、家で十分な食事が取れていないことを察知。「選手寮に入れて、十分な食事を与えてやってくれないか」とアカデミーの責任者に直談判した(注:ブラジルでは、通常、選手寮に入れるのは地元以外の選手だけ)。
以後も順調に成長し、2002年、18歳でトップチームへ昇格してすぐにレギュラー。伝説となったプレーがある。
2002年ブラジルリーグの決勝第2レグ。サントスがアウェーでコリンチャンスと対戦し、前半36分、ロビーニョが左タッチライン沿いでパスを受けた。
ドリブルでゴールへ突き進むと、元ブラジル代表右SBロジェリオが立ちはだかる。ロビーニョは、得意の超高速シザースを連発。ロジェリオはズルズルと後退し、ロビーニョが8度目のシザースでボールを左へ持ち出そうとしたところで倒してしまう。判定はPK。当のロビーニョが、GKの逆を突いて左へ決めた。
このようなファンタジックなプレーを、ブラジル人はこの上なく愛する。メディアとコリンチャンス以外のすべてのファンが絶賛し、「ペダーラ、ロビーニョ」(跨げ、ロビーニョ)というセリフが大流行した。
翌年、ブラジル代表に初招集され、2005年には推定移籍金2400万ユーロ(約31億円)でレアル・マドリーに加わった。
マドリーの10番、輝かしい未来のはずが
クラブから与えられた背番号は、エースナンバーの「10」。当時、ブラジルでは誰もが「近い将来、世界トップの選手になる」と予想した。輝かしい未来が待ち受けていると思われた。
しかし、レアル・マドリーでは主力になり切れなかった。2006年ワールドカップ(W杯)では、4試合に出場して無得点。2008年夏、マンチェスター・シティへ移籍し、最初のシーズンは14得点をあげたが、翌シーズンは鳴かず飛ばず。2009年1月、18歳の女性から婦女暴行で訴えられ、一時は警察に拘束されたが、証拠不十分で無罪となった。
2010年のW杯に招集され、4試合に出場して2得点。大会後、ACミランへ移籍すると、最初のシーズンは好調だった。しかし、翌シーズン以降は不調に喘いだ。
そして、2013年1月21日深夜から翌日未明にかけて事件が起きた。